最速で答えにたどり着くために「まず」必要なこと。それは、「正しい情報」をインプットすることです。インプットが間違っていると、結局、すごろくで言う「振り出しに戻る」状態で、正しい事実を捉えるところからやり直さなければならなくなります。最近は「今は正解のない時代だ。だから自分の頭で考えよう」ということがよく言われますが、自分の頭で考える前に絶対に必要なのが、事実を正しく把握することです。事実を間違って捉えたままの状態でいくら考えても、それは結果的に考えたことにはなりません。
アパホテル「南京大虐殺否定本」の一件を考える(1)
信念や深い信条を曲げることはない。ただ新しい考え方に心を開くだけでいい。そうすれば、自分とちがう考え方を排斥しようとするストレスが軽くなる。この練習は新しい興味を抱かせるだけではなく、他人の無邪気さを見る練習、自分に忍耐力をつける練習にもなる。自分とちがう考え方に一つの論理を見いだそうとつとめることで思慮深くもなれる。私と妻は、アメリカのもっとも保守寄りの新聞ともっともリベラルな新聞を購読している。どちらも私たちの視点を広げてくれている。
新年の挨拶、そして思うこと(平成29年)
私が育った家には歌謡曲のレコードがたくさんありました。両親はけっして歌をうたいませんでしたけれど、聞くのは好きだったようで、よくレコードをかけていました。それをそばで聞いていた私も自然に歌を覚えてしまいました。
そうして覚えた当初の歌謡曲を思い出してみても、「戦前の日本は暗かった」というのはアホじゃないかと思えてきます。
例えば門田ゆたか作詞の「東京ラプソディー」。花咲き花散る宵も
銀座の柳の下で
待つは君ひとり 君ひとり
逢えば行く 喫茶店(ティールーム)
楽し都 恋の都
夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京
これが2・26事件が起こった年、昭和11年の歌です。この歌のどこが暗いというのですか。—
こうした事実から私は、戦後の進歩的文化人の吹聴してきた「戦前暗黒史観」はウソだと直感しました。今では彼らのデマも次第にバレてきましたが、これまでは戦前は冷や飯を食わされていた人やその弟子たちが「日本は悪い国だった」という東京裁判史観を日本中にバラまいてきたのです。公職追放令のおかげで戦後世界に凱旋してきた人や、その弟子たちが大学や、岩波書店、朝日新聞、NHKといったジャーナリズムで重要な地位を占めてきたのも見逃すことの出来ない事実です。
しかし私は佐々木邦の小説を読んでいましたから、そんなでたらめには惑わされることはありませんでした。当時の歌謡曲を思い出しながら自分の頭で考えてきましたから、彼らに洗脳されることもありませんでした。
こういうところにも「読書の力」があるように思います。(渡部昇一『知的読書の技術』より)
若干遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。ピースです。
こちらは本日が仕事始めです。
ブログ読者の皆様方には、昨年は大変お世話になりました。
さて、本年1発目の記事に何を書くかということで、結構悩んでいましたが、
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あまりにもふざけきっているとしか思えない流行語大賞の選考
内向型人間とネット
じつのところ、研究によれば、内向型の人々は外向型の人々よりも、オンライン上で親や友人が読んだら驚くようなことまであきらかにし、「本当の自分」をさらけ出し、オンラインの会話により多くの時間を割くことがわかっている。彼らはデジタルコミュニケーションの機会を歓迎する。200人収容の講義室では絶対に手を挙げて発言しない人が、ブログではためらいなく2000人はおろか200万人を相手に語っていたりする。初対面の人に挨拶するのもままならない人が、オンライン上では生き生きと自分をアピールし、その関係を現実世界にまで広げたりもする。(スーザン・ケイン『内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える』より、原文は縦書き漢数字)