アパホテル「南京大虐殺否定本」の一件を考える(2)

最速で答えにたどり着くために「まず」必要なこと。それは、「正しい情報」をインプットすることです。インプットが間違っていると、結局、すごろくで言う「振り出しに戻る」状態で、正しい事実を捉えるところからやり直さなければならなくなります。
最近は「今は正解のない時代だ。だから自分の頭で考えよう」ということがよく言われますが、自分の頭で考える前に絶対に必要なのが、事実を正しく把握することです。事実を間違って捉えたままの状態でいくら考えても、それは結果的に考えたことにはなりません。

皆様こんばんは。ピースです。
もう少しで3月ということで、昼間は若干暖かい日も出てきましたね。
でも、夜は相変わらず冷えますので、やはり体調には十分気を付けましょうね。

本題は、前回の続きです。


普段から政治や言論、近代史系のブログをお読みになられる、あるいは活動や講演会に参加されている方は、よくこんな主旨の話を見聞されることがあるかと思います。
そんな皆様にご質問ですが、これ、どうお考えになりますでしょうか?

「本来であれば、保守もリベラルも、『国益を考える』、または『愛国者である』ことが前提であるべき考え方だ。
にもかかわらず、日本ではリベラルというと、特亜に媚び諂い、日本に住んでいる恩恵を受けながら日本を異様に貶めることしか能のない連中の代名詞になっている。」

もちろん、考え方は色々あるでしょうが、私の考えは以下の通りです。
これの一文目に関して、「国益を考える」、または「愛国者である」という部分が、(一面では正しいかもしれないけど)必ずしも本質とは言えない、ということです。

では、私が考える「保守/リベラルというときに前提になる本質」とは何か?
それがまさに、今回の冒頭、木部氏の著書からの引用にある通り、

「事実を根拠に」組まれた考え方である

ということです。

これがあってこそ、「国益」という観点も成り立つんだと、私は考えます。
ですから、自虐史観(私はあまりこの言葉は使いたくないのですが…)という問題が今は言われることが多いですが、もちろん過剰な自尊史観も問題にはなることがありうるわけです。
(ひとつ事例を挙げますと、先日2分割で参加報告をしました八田與一技師に関する講演会後のディスカッションでも、
今、蔡英文政権は『多元化』という方向性を打ち出しており、この多元化の枠組みの一角を担うものとして日本はあるべきなのは間違いない。その中で、日本統治時代の『皇民化』と対比し、その光だけでなく影の部分をも正しく認識することから考えていく必要がある」
という主旨のコメントがありました。
まあ、それこそ、一番の反面教師は現在の特亜ということになるのかもしれませんが…)

また、前回申し上げた、「この件ではソースとなる記事へのリンクを貼らなかったもう一つの理由」も、
個人、あるいは特定組織の考え方が入った記事しか私が探した限りでは見当たらず、事実だけをきちんと述べたソースがなかったということです。

さて、歴史的事実を見るときに考慮しておくべきことは、少し考えれば当たり前ですが、
「空間を隔てた検証よりも、時間を隔てた検証の方が難しい」ということです。
(これは、以前にも「時間と空間」というキーワードを入れて起こした記事を書きましたので、そちらもお読みいただければと思います。)
そして、「難しい」ということは、捉え方を変えると「修正、あるいは更新の余地がより多く残っている」ということでもあります。

ここに「修正」という言葉が入ったことで、ピンときた方もいらっしゃるかもしれませんね。
ここまで申し上げたところで、黒田裕樹先生の講座の参加報告でも「言いたいことがある」と述べたうえで取り上げたこの問題について、ここでその言いたいことを言わせていただきましょう。

この従軍慰安婦ですとか、南京大虐殺とかの話に関して、その否定論者に対し
「歴史修正主義反対」などと言われる方に対して、私は非常に強い憤りを覚えます。
なぜならば、「修正」を否定するというのは、まさに「学問に対する冒涜」にほかならないと考えるからです。
理工学でも、「修正○○式」という名前(○○に入るのは、考案者名のことが多いですかね)がついている、理論的、あるいは経験的公式は数多くあるわけです。
もちろん、土木分野でもたくさんあります。

そして、歴史も「学問」の範疇に当然含まれますから、新しい遺跡などが発見されれば、それまでの理論が「修正」されることはあるわけです(ついでに、リンク先のエントリでは「事実の検証の積み重ね」ということにも触れていますね)。

そう考えると、どうあがいても私は「『歴史修正主義』なんて言葉を批判的に使うなどというのは、本気でふざけ切った話だ」という結論にしか行きつきませんでした。
(ついでに言うと、当の黒田先生は、「(今話題になっている)『厩戸王』という聖徳太子の呼び方とか、あるいは鎌倉幕府1185年説とか、その辺に対して『歴史修正主義』という言葉を持ち出さないのは、明らかなダブルスタンダードだ」ということを仰っていました。
私は半可通なところもあるのでここでは詳しくは触れませんが、これもやはり、日本という国家のほかならぬIdentityである、天皇が絡んだ話なんですよね。)
今回、タイトルに書いたのは「アパホテル」ですが、ここに来て、DHC、塚本幼稚園、森友学園と次々新しい事例が上がってきました。
(ただし私は、個別でみると特に森友学園については「別の政治的問題」があると解釈していますが。)
私が個人的に一番印象が強かったのは、これらの事例よりも少しさかのぼりますが、(今回の件でもそのアパホテルに泊まったということを堂々とTwitterに書いた)あの高須院長ですね。
でも、高須クリニックなんて思いっきり大マスコミの恩恵を受けていたところには違いないわりに、当時は今ほどはネット外にまで大きな話題にはならなかった覚えがあります。

これはそれだけ、高学歴、あるいは現在社会的な地位が高い方が本音で意見を述べられる機会が増えていることには違いないという証左になりうるわけです。
このことから察するに、まだまだ油断はならないものの、前回の最後に述べた「健全さ」は、日本でも確実に増してきていると言えるでしょう。
私も、「『正しい情報』をインプット」し、そしてそれに対する自分なりの解釈をアウトプットする、今後もその努力を続けるモチベーションを保っていきたいですね。

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