「土木系技術者」として、日本の在り方を考える
1.はじめに
この記事は、旧ブログにおいてはメインエントリと位置付けて取り扱っていましたが、Wordpress移行後は新たに固定ページとしました。
私の主張の中心となる部分をまとめていますので、その時々の時勢に合わせて更新するつもりです。
なお、私個人の情報や考え方に関しての詳細は、こちらをご参照ください。
2.「土木史」を通して学んだ、近代史の再検証の必要性
私は学部3年の時に、大学の専門課程における「土木史」の授業のレポートで、台湾の烏山頭ダムの建設に関する八田與一の功績を取り上げたことがありました。
ですが正直、私がそれを書いたことについては、当時深い意味を感じたことなんて全くなかったんです。
ただ、その時引用したWebサイトには、日本統治の功罪の「罪」の部分だけを強調するような姿勢はどうなのか、みたいなことが書かれていたことは、よく覚えていますね(そのサイトは、今確認したら完全にリンク切れになってしまいましたが)。
そんな中、その次の年の4月、私の考え方を根底から変えさせられる、まさにタイムリーな出来事が起こりました。
それが、あのNHKの「Japanデビュー」騒動ですよ。
あれは、当時の台湾を知る方のお話を歪曲はするし、「人間動物園」とかいうありもしない表現は使われるし、自らやっちゃダメだって言っている(参考リンク:P15参照)はずのサブリミナルまで利用するし、チャンネル桜およびその系列の方々の出した検証映像を確認しただけでも、もう最悪だとわかる番組でしたね。
まだそんなに街頭活動には熱が入っていなかった中で、抗議デモに1000人以上も参加されていたのですから、やっぱり当時としては間違いなくすさまじい勢いだったと言っていいでしょう。
ちょうどその頃に、私が巡回していたブログの中で、こんな主旨のコメントがあるのを見つけました。
「あの番組を見て気分を悪くしてしまった人も私の周りにいたので、そんな人にはこの本を勧めています。」
勧められていたのが何の本なのかというと、これです。
蔡 焜燦 著『台湾人と日本精神 ― 日本人よ 胸を張りなさい』
今、この記事を読んでいる皆様であれば、もうこの本は読まれているという方は結構多いでしょう。
私もそんなブログのコメントを見つけて、小学館文庫版を買って読んだわけですが、読んでみた感想をざっくり申し上げますと、
「『ハード面』での整備だけでなく、教育といった『ソフト面』での功績を日本が残しているのが大きいんだなあ」ということを感じさせられました。
かくして、私は「『近代史の再検証』にこそ、今のズタボロに荒んでしまった日本を復活させるカギの一つがある」ということを確信した、というわけです。
3.日本のインフラの現況
で、ここまでが私のエピソードなのですが、その「近代史の再検証」についてより深く掘り下げるのは、他の皆様方にお任せしたいと思います(どうしても私自身が言いたいことができたら、個別の記事を立てて書くでしょうから)。
以下は、私の本分、つまり「技術者」としての立場からのお話。
社会基盤、すなわちインフラ(infrastructure)。
これがなければ、日本の国力の源となる産業、
そして皆様方の生活も全く立ち行かなくなります。
しかし、新聞やテレビの報道では、
それがこれまで、どれだけ重要な問題として取り上げられたか?
近年、ネットで政治・言論系の話題を発信されている方々の中でも、
そのことに疑問・不信感を持つ方は、確実に増えています。
もう散々、あちこちで言い尽くされていることですが、
日本のインフラの中で主要なものは、1960年代の高度成長期に造られたものです。
(余談になりますが、年代からいうと、この時にバリバリの現役だった方といえば、団塊より一回り二回り上の世代、ということになりますね。
で、そういうと「団塊の連中は何なんだよ!?そんな時にサヨクの学生運動なんかに精を出していたくせに、その恩恵を丸々享受しやがって!!」ということをおっしゃる方もいると思うんです。
それは確かに、そういう一面があったことも事実ではあると思います。
ただ、私は「本当はそんな方ばかりだったわけではなく、そんな中で真っ当に勉強をされて、自分の頭で考えて行動されていた方もいらっしゃったから、今の日本はまだ持っている」というように考えたいんですよね。)
で、もうちょうど50年。
橋梁やトンネルといった道路系の構造物に関しては、想定している耐用年数が、大体そんなくらいなわけです。
一方、私の専門は河川ですが、
国が管轄する一級河川の場合だと100年~200年に一度、都道府県管轄の二級河川では50年~100年に一度という規模の洪水を想定した河川計画をもとに整備されています。
ですが、それもやはり当時の基準なので、
ゲリラ豪雨にみられるような、天候が極端化しつつある今の状況を考えると、それがもう20年に1回以上は起こる規模になっていた、とかいうことだったとしても、正直全くおかしくないんですよ。
ここで、公共事業への投資推進派の方々の主張には、まず間違いなく「反新自由主義」色のものが含まれている。
それはもちろん当然なのですが、加えて、そんな方々が言っていることの主旨は、概ね
「仮にインフレ時だったとしても、国民や貴重な財物を守るための整備は絶対に必要なんだ。今の日本はデフレだからこそ、逆に大チャンスだ」
ということですよね。
私は、これは本当に、間違いなく正論だと思っています。
4.”Civil”面からこそ、「平和ボケ脱出」という気運を!!!
これが、以上のことを踏まえての、私の主張です。
どういうことなのかと申しますと、
“Civil”という単語は、「市民の」あるいは「文民の」という意味の形容詞です。
対義語は”Military”、「軍の」あるいは「軍人の」という意味です。
(以前本ブログにて“Military & Civil”という記事を書きましたので、興味のある方はそちらもお読みください。)
そして、上のリンク先でも書いていますが、
土木工学って、英語で”Civil engineering”っていうんです。
(直訳すると、「市民工学」あるいは「文民工学」ですね。)
確かに、「”Military”面から『平和ボケ脱出』という気運を高める」という考え方は、最近の集団的自衛権やら、安保法案やらに関する議論を引き合いに出す必要もないくらい、結構わかりやすいんですよ(これらも結構いろいろな意見が出ていますが、「議論になる」ということが一番大事なことだと思います)。
だけど、「”Civil”面の平和ボケ」というと、どうですか?
災害というと、何と言っても2011年の東日本大震災。
14年~15年にかけては、火山噴火が立て続けに起こりましたし、広島の土砂災害もあった。
水害に関しては、程度の差はあれども、本当に毎年、死者が出るほどのものです。
正直、まだ「対岸の火事」のように思ってはいませんか?
聡明な皆様ですから、「もう十分わかっている」という方も多いでしょうが、あえてもう一度この問いを投げかけておきましょう。
で、ここで勘違いしてはいけないことですけど、
「じゃあ、その高度成長期と同じことをさらにもう一回やれ」というのか?
ということを言いだされると、それは流石に「そんなことを言うつもりはない」と答えますねw
まず、いくら日本には「『円』という自国通貨」なるアドバンテージがあるからといっても、それはあまりにも無茶すぎる。
それに加えて、今は「環境」というのが、とにかく重要視される。
(もちろん、CO2温暖化説の是非をはじめとして、環境に関しても利権が絡んでいると思われる事項はいくらでもあるのですが、それらの問題を全部差し引いても、「環境」への影響は絶対に無視してはいけない問題であることには変わりない。)
ということで、先述の50年前と同じような、いわゆる「いけいけドンドン」というわけにもいかない。
整備というハード面でできることが限られているからこそ、国民一人一人の意識の変化、すなわちソフト面に重きが置かれる。つまり、
「”Civil”面からこそ、『平和ボケ脱出』という気運を高める」ということが、より大事になると思います。
5.おわりに
私は社会人になってまだ日の浅い者ということで、
まだまだ未熟ではありますが、ひとりの技術者、そして日本人として、
日本のこれからを考え、真摯に活動されている皆様方と、
日本の国土・防災について「今ある危機」の認識を
共有することが出来れば幸いです。
何よりも、私の創っている付加価値は、間違いなく、現場の方々のご活躍があってこそ存在している。
それに対する感謝の気持ちを、いつでも忘れないようにしたいと思います。
参考文献・資料(本文中で未記載のもの)
- 土木学会 土木人物アーカイブス
(今回は八田與一のことを書きましたが、青山士・宮本武之輔も有名な技師です。) - 斎藤充功 日台の架け橋・百年ダムを造った男 (時事通信社)
- 高瀬信忠 河川工学入門 (森北出版)
- 針貝武紀 強く美しい国づくり (建設人社)
- 根本祐二 朽ちるインフラ ― 忍び寄るもう一つの危機 (日本経済新聞出版社)
- 藤井聡 超インフラ論 地方が蘇る「四大交流圏」構想 (PHP新書)
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