新年の挨拶、そして思うこと(平成29年)

私が育った家には歌謡曲のレコードがたくさんありました。両親はけっして歌をうたいませんでしたけれど、聞くのは好きだったようで、よくレコードをかけていました。それをそばで聞いていた私も自然に歌を覚えてしまいました。
そうして覚えた当初の歌謡曲を思い出してみても、「戦前の日本は暗かった」というのはアホじゃないかと思えてきます。
例えば門田ゆたか作詞の「東京ラプソディー」。

花咲き花散る宵も
銀座の柳の下で
待つは君ひとり 君ひとり
逢えば行く 喫茶店(ティールーム)
楽し都 恋の都
夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京
これが2・26事件が起こった年、昭和11年の歌です。この歌のどこが暗いというのですか。

こうした事実から私は、戦後の進歩的文化人の吹聴してきた「戦前暗黒史観」はウソだと直感しました。今では彼らのデマも次第にバレてきましたが、これまでは戦前は冷や飯を食わされていた人やその弟子たちが「日本は悪い国だった」という東京裁判史観を日本中にバラまいてきたのです。公職追放令のおかげで戦後世界に凱旋してきた人や、その弟子たちが大学や、岩波書店、朝日新聞、NHKといったジャーナリズムで重要な地位を占めてきたのも見逃すことの出来ない事実です。
しかし私は佐々木邦の小説を読んでいましたから、そんなでたらめには惑わされることはありませんでした。当時の歌謡曲を思い出しながら自分の頭で考えてきましたから、彼らに洗脳されることもありませんでした。
こういうところにも「読書の力」があるように思います。

(渡部昇一『知的読書の技術』より)

若干遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。ピースです。
こちらは本日が仕事始めです。
ブログ読者の皆様方には、昨年は大変お世話になりました。

さて、本年1発目の記事に何を書くかということで、結構悩んでいましたが、

そのときに見直したのは、昨年の年始の挨拶でした。

新年の挨拶&「地に足の着いた」言論について


今年の新年の挨拶、冒頭の引用から何を申し上げたいかというとですね、
実は、主旨としてはこの昨年のものと変わりません。
ただし、昨年の引用はラピュタの名台詞からだったのに対し、今年のそれは知識人ともいえる方の書かれた縦書きの本からということで、内容も若干掘り下げたものになる感じでしょうか。

引用元の本の著者である渡部昇一先生ですが、このブログを以前から読まれている方、あるいは政治・歴史系のリンク元からいらっしゃった方であれば、もう説明は不要かと思います。
ですが、以前のエントリで引用した本田健さんの著書『読書で自分を高める』の中でも、「渡部先生はものすごい書斎を持っていて、図書館の中に自宅があるようだ」という感じのことが書かれていました。

そして、私自身がこの本を読んで思ったことは、「海外経験から得ているもの」ですね。
これはまた機会があれば記事にすることもあるかもしれませんが、やはり他の国を自分の目でしっかり見てきた方々は、「日本は一体どんな国と思われているか」とか、「何を世界基準にし、何をその国独自路線でいくべきか」などということに関する第三者の視点を見聞しているので、特に国際情勢に関しては大マスコミの情報と実際の違いを少しずつ感じる機会が多いんですよね。
実際、私も一昨年の天長節一般参賀のときに、学生時代に北京にショートステイに行っていたことを書きました

さて、こういったブログでの情報発信・拡散に大切なことって何かというとですね、私はそれは
いかにもネット言論に参加されている方々が食いつきのよさそうな話題以外で勉強し、あるいは気づいたこと
の中にあると考えています。

確かに、政党と政局、国際政治、経済・労働、マスコミの問題、近現代史などなどの勉強も必要ではあると思いますし、実際私もやっていることには違いないです。
ですが、それだけではまさに、昨年の年始の記事に書いたとおり「先鋭化しすぎて足元がおろそかに」なってしまうわけです。

では、「それ以外で勉強し、あるいは気づいたこと」とは何か?
もちろん、それは一人ひとり違っていると思いますが、誰にでも何かしらあると思うんです。

例えば、今回の引用元の渡部先生については、「文学」とか「哲学」ということになります。
もう少しやわらかめなところで言えば、スポーツの話題もあげられるでしょう。
私が昨年参加した「Taiwan is not Chinese Taipei! 台湾正名運動」

【参加報告】 Taiwan is not Chinese Taipei! 2020東京五輪「台湾」正名集会


で、登壇された複数名の方が「リオオリンピックに出場された選手は皆可愛いところがある」というようなことを仰っていたんですよね。
その中で、特に在台俳優の中山迅さんが仰っていたのが、
私も福原愛さんの結婚の報道は凄く印象に残っている。
こんな感じで選手を愛でていく中でも、『平和の祭典』が本当にこのままでいいのかという疑問は徐々に広がっていくのではないか
という感じのことだったんですよ。

では、私自身はどうだったか?
私については、細かいのは色々あるのですが、大きく言えば2つ。
1つは、昨年もたびたび文章を起こす中でリンクをはってきたメインエントリに書いてある、「八田與一技師の台湾での功績を土木史のレポートで書いた」こと。
そしてもう1つは、昨年末の記事でもお名前を挙げましたが、あの京大教授・内閣官房参与の藤井聡先生が東日本大震災からの復興以降、技術者、そして学者としての立場から行政に提言をしてくださっていることです。
(私は以前から、藤井教授に関しては、政治的な左右の立場とかそういうことは関係なく、考え方が「生粋の日本人」らしいなあ、ということを感じていました。)

そんな感じで、まさに昨年の挨拶で言えば文明の先端に対する「根っこ」、あるいは足をつけるべき「大地」にあたるのは、自分の専門とか、趣味とかになるんだと考えています。
それを学び、あるいは楽しんでいく中で、ほんのちょっとの「大マスコミ、あるいは『パヨク』と呼ばれる人たちが創り出す社会全体の雰囲気・風潮に対する違和感」、そして「それに流されていただけでは分からなかった、自らの見聞した他人の経験に対する共感」を大事にし、自分の言葉で情報発信できる方が増えていくことを願いたいと思います。
そしてもちろん、私自身も本年も自己研鑽を怠りなくやっていく所存です。

それでは、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

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