天長節一般参賀、前々から考えていたことも併せて…

皆様お疲れ様です。
1年たつのはなんだかんだ言って早いものですね。

さて、去る12/23、天長節一般参賀に行ってまいりました。


写りが角度的にあまりよくないのですが、写真はTwitterで

さらに、午後からは頑張れ日本の奉祝行進&忘年会にも参加しました。
シュプレヒコール無しの、ああいう行進もいいものだと思いますね。

今回は初めて、あるいは数年ぶりにお会いする方も多いだろうということもあって、
個人活動用の名刺を20枚程度印刷していったのですが、まさか半分以上使うとは思わなかったですね。

私は一般参賀は4年ぶりだったのですが、今回知り合った皆様は初めてという方も多かったですし、やはりこれまであった、「『日本』という国がどうあってほしいか」という意思を示すことへの抵抗を感じる方は、なんだかんだ言って徐々に減っていっている感じを受けました。

で、これはその4年前にも書いていたことなのですが、その記事はこのブログからは削除してしまったので、
少し今の情勢に合わせて改訂して、もう一回書きますね。

私が4年前の一般参賀に向かったときは、その直前の10月~11月、研究室のショートステイで北京に滞在していたんです。

その時は、休日の観光で30人くらいのあちらの大学の学生とともに故宮博物院に向かいましたが、
その学生さんたち、天安門広場で支那(China,いわゆる中国)共産党旗や、研究院の名前が大きく書かれた旗を掲げて集合写真を撮っていたんです(ちなみに当然と言えば当然ですが、その写真には私は写っていません)。

(ここは余談ですが、この国に関しては、このブログをお読みの方にとってもいろいろ意見があると思います。
大ざっぱに言えば、「悪いのは共産党であって、一般的な漢民族の人々はむしろ被害者だ」という考え方と、
「国が民主化しても、チベットやウイグル、南モンゴルの悲劇、尖閣・沖縄や台湾への侵略といった実態は何も変わらない」という考え方に分かれるかと思いますが、そのあたりのことはまた別の機会に。)

それで、日本には、「愛国心を育もう」と言ったらすぐ右翼とかいうレッテル貼りをする連中もいますね。
けれども私は、要するに愛国心というのは、こういう連帯感といいますか、仲間意識といいますか、その延長上にあるものだと考えているわけです。

今の日本人、平和ボケという言い方をよくされます。
その平和ボケを脱する手段として、たとえば「日米同盟で日本が一方的に守られる立場になっているのが問題だ」から、「それに頼らないためにも、9条の改正と自主防衛を整えることが急がれる」とか、あるいは別の意見として「それを互助の体制にするためにこそ、最近話題になった集団的自衛権だの、安保法案だのが重要なんだ」とかいうことがよく言われますよね。
まあ確かに、そういう意見の違いに関する議論は大いにあるべきだと思います。
ですが、もっと必要なことは、「一般国民のこういった連帯感ないしは仲間意識を目覚めさせ、より高めること」だと思うのです。
(それを言うと今度は、言葉の表面だけを捉える連中には「国際化の時代に逆行している」とか言われるんでしょうけどね。言うまでもなく、そういった意識を高めることと国際化は両立し得ます。)

直前の海外体験でそんなカルチャーショック(というほど大げさなものではないかもしれませんが…)があって、4年前に一般参賀に向かったときは、あの場で萬歳三唱をやったり、天皇陛下のありがたいお言葉を聞かせていただいたりしたことで、「そういう意識に関しては、日本も意外と負けていないかもしれないな」と思っていました。
そして、今回その思いは、間違いなくより強くなったと思う次第です。

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