「反新自由主義」という主張を考える

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「正直者がバカを見る」などという迷信は、
いますぐ捨て去ってください。
そのためには、
他人と競争しようとする意識を捨て去ることです。

競争は、ずるさを生み出します。
ずるい考えは、人生に混乱を持ち込みます。
それは、私たちの人生を支配している「正義の法則」に、
真っ向から刃向かうものです。

(ジェームズ・アレン著『きっと!すべてがうまくいく』より)
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皆様こんにちは。
予告通り、前記事と同じ本からの引用に始まりましたが、
今日はこんな質問から入りたいと思います。

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「ほんの一時の痛み」を負う覚悟

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手を火の中に入れると火傷を負います。
単純な法則です。
そしてこの法則は、心の中でも機能しています。

憎しみ、怒り、嫉妬、不安、羨望、強欲といったものは、いわば心の火です。
それに触れると、誰もが火傷の痛みを体験しなくてはなりません。

(中略)

これらの感情は、心の混乱を引き起こし、まもなく、
病気、失敗、不安、悲しみ、絶望といった「罰」を、
人にもたらすことになります。

一方、愛や善意やおだやかさは
心に平和をもたらすそよ風です。

「正義の法則」と調和したそれらの心の要素は、
健康、穏やかな環境、成功、幸運などの「恵み」を、
人にもたらすことになります。

(ジェームズ・アレン著『きっと!すべてがうまくいく』より)
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皆様こんにちは。

いきなり書籍からの引用で面食らった方もいらっしゃると思いますが、本記事は当初書こうと思っていたものとは、内容を変更しています。

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【雑記】「大同団結」

皆様こんにちは。
私の方は色々と大変な時期に差し掛かっており、なかなか気の休まる感じがありませんが、
まあ、それだけ頑張れることがあるのは幸せですね。

さて、今日はこちらの記事についてです。

行橋市議会議員 小坪しんやのブログ
いまこそ保守の大同団結を。

この記事を読んで私が感じたことは、

愛国派の方のブログやSNS記事の中で「大同団結」という言葉を見たのが、本当に久しぶりだなあ、ということです。

「大同団結」という言葉は、麻生さんが総理だった時から、民主政権の3年と少しの間では、
ネットで積極的に情報発信していた日本愛国派の方の中で本当によく見かけた言葉だったと思います。
それが、どうして安倍政権になってから全くといっていいほど見なくなったんでしょうね?

個人的に思い当たる理由はいくつかありますが、
その中で一番大きなものは、
「危機感が薄れた」ということにあると思います。

安倍政権ができた当時は、今騒動の中心人物になっている田母神閣下をして、
「『自民党政権』ではなく、『安倍政権』でなければ駄目だ」
と言わしめたぐらいですから、それだけ日本を想う方々には期待されました。

でも、そこで危機感がなくなってしまったんでしょうね。
その結果として、今、TPPだの、消費税増税だの、女性活躍だのと言って、
それに対して少しずつ「期待していた方向と違う」と感じる人が現れてはいる。

だけど、その前段階でぬるま湯につかってしまったことで、「大同団結」を忘れてしまったので、
気になる部分はあっても言い出せないでいる安倍支持者の方と、
元は支持者だったけど、一気に(愛国・保守としての)安倍アンチになった方と、
二分してしまった、という感があるんです。

で、私の考えはどうなのか。
以前、この記事とか、この記事とかにまとめていましたね。

結論から言ってしまえば、
100%と言ったら嘘ですが、90%以上は変わっていません。

普段、若者投票の運営者の方のブログを読んでいる皆様からすると、
「お前はまだそんなことを言っているのか」という感想を抱くと思います。
(あそこは、上述の二分した中では後者寄りな感じがありますから)

でも、私がこういうことを言えるのは、
「本当の『大同』は、『今の安倍内閣をどう見るか』ということにはない」
と考えているから
です。

そこで、じゃあ何にあるのか、と問われると、完全に答えに詰まってしまうから、不勉強なことを痛感するのですが…
まあ、問題提起としては重要な部分だと思いますので、ちょっと自分の言葉で記事にしてみた感じです。

【雑記】2014年

このブログをお読みの皆様、あけましておめでとうございます。帰省先からの更新です。
私の方は、東京に戻ればまた一気に忙しくなるでしょうし、不定期+超スローペース更新なのは相変わらずかと思いますが、
本年もなにとぞよろしくお願いいたします。

さて、安倍首相が昨年末、靖国神社に参拝しました。
前記事の最後に述べたとおり、これについてできれば昨年内に書きたかったですが、書けなかったので。

先に書いてしまうと、私は公人の靖国神社参拝に関しては、ざっくり言ってしまえば、お墓参りと同様のものだと考えています。
それが政治問題、それも国内だけでも大概ですが、外交にまで影響することになっているのが異常だろう、ということですね。

一方、ツイッターでの反応を見ると、「大マスコミが取り上げるのは、なぜ中国や韓国の反応ばかりなのか?」という疑問が明らかに多かったですね。

ここで1つ、私が皆さんに思い出してほしいことがあります。
それは、

皆さんが、「日本が加害者で特ア側が被害者」という、いわゆる自虐史観(私はこの言葉をあまり使いたくないので、こういう表記にします。)から抜け出すきっかけになったのは何か?

ということですね。

私はいろいろありますが、このブログで今までほとんど言及していなかったことを挙げるなら、2008年の北京オリンピックでしょうね。

あの時の聖火リレーは、正直異常事態でした。
長野の騒動のことについては、正直なところ詳細を存じ上げていないのですが、「一見すると、何も関係なさそうな国で」ボイコット運動がたびたび発生していました。

そういうのを見ると、
「日本は靖国だの、教科書だの、領土だので中韓に媚び諂う政治家がほとんどだけど、これが本当に『被害者としての立場から主張をする』国で起こりうることなのか?」
という、素朴な疑問があったわけです。
そして、2009年春に、あのJAPANデビュー問題が起こり、それに対する回答のヒントを得ました。

今日は今年初の本ブログ記事ということで、2014年の政治の動向を見るときには、

上の質問に対する回答に限らず、そういう生き生きとした「自分ならではの感動」が大事になってくると思います。

民主党政権だった時には、「自分らの利益に関わる一部の人を優遇して、国益を顧みず、一般国民にばかり負担を強いる」という最悪に近い状況だったわけです。
だから、問題は「そんな民主党の議席数をどれだけ減らせるか?」という1次元的なものでした。
その時には、ネット言論に参加される方一人ひとりの個性よりは、「数は力」という面が圧倒的に強かったんです。それゆえ、「コピペで拡散」という手法が力を発揮しました。

でも、少なくとも昨年の参院選でねじれが解消してからは、そうではなくなったのではないでしょうか。
「安倍政権が救国内閣か売国内閣か?」という問題は、その切り口が間違いなく無数に存在する、2次元的なものです。

こういった場合、「コピペで拡散」だけでネット言論に加わるのは難しくなると思います。
もちろん、情報ソースはネットの記事や文庫本といった陳腐なものでもいいんです。
が、そこから得た自分ならではの感動が何かということが、まず自分でわかっていて、それを人に向けてもある程度伝えられることを目指す(最初のうちは絶対的なオンリーワンである必要はないと思います。上述の北京オリンピックの話は「全く同じだ」という方もいらっしゃるでしょうし)。
それによって、政治経済の現況に対して、説得力のある意見発信や、中身の濃い議論が可能になるのではないか、ということですね。

私は最初の自己紹介を書いたときから、結構そういうことを意識していたのですが、やはり若干中弛みな感じもありますね。
本年は自分の就活や研究と並行して、「自分ならでは」という政治経済の見方も出来る限りたくさん見つけていきたいと思います。

【活動報告】7/28 反マスコミデモ

皆様お疲れ様です。
東京はずっと曇りや雨の天気が続いてますが、やっぱり蒸し暑いですね。

さて、昨日は反マスコミデモに参加してきました。
普段、本ブログで告知している若者投票関連、そして毎回それなりの人数が集まる頑張れ日本以外のデモ参加は、かなり久しぶりな気がします。

wikiのコール表を見ていただければわかるかと思いますが、今回は、日本テレビ、朝日新聞、そして電通と、悪質な偏向報道の元凶となっているマスコミ・広告代理店の本社建物付近を通過するデモでした。

それに合わせて、コールの内容も、

カレーの値段とかいうくだらない(とはいっても、安倍氏が野党自民の総裁になった時は、それがバッシングの材料になっていたから、大マスコミの程度が知れるわけですが…)ものから、
本ブログでもたびたび取り上げる低い投票率の問題、そして、日本の国家の形を大きく揺るがす、いわゆる従軍慰安婦問題や、TPPの本質といったところまで、幅広く取り上げられました。
(なお、今回は残念ながらデモの様子は撮れなかったので、様子を見たい方は他サイトの写真や動画をご覧ください。)

ゴール地点が朝日新聞社前だったので、解散後も抗議街宣が続けられたようです。
ただ、私は夕方以降は予定が埋まっていたので、そちらは参加できませんでした。

ところで、今回の参院選、ネット選挙の解禁が大きなポイントになりました。
しかしながら、ネットを参考にしたのはわずか3%ということだったそうです。(私の意見としては、1%なくても全然おかしくないと思っていましたが…)

でも、選挙結果を見てみると、「その3%が無視できない程には効いている」ということは、前記事を読んで下さった方には十分お分かりいただけると思います。

2009の衆院選の時は、新聞やテレビの総評は、概ね「別に民主が評価されたのではなく、自民の自滅だ」というものでした。
そして昨年の衆院選は、まさにその逆でしたね(今回の参院選もそうかもしれませんが)。

この言葉を借りて言うなら、今回コールで名指しされたところに限らず、マスコミが自らの報道姿勢を改めない限り、

「別にネットの台頭ではなく、大マスコミの自滅だ」

と言われる事態になる日も、来ることになるでしょうね。

【雑記】「一次ソース」

前回ちょこっとそんな感じのことを言っていましたが、久々に活動報告等から離れた記事を書きます。

最近のネット言論について、個人的な印象なのですが、
自民政権(特に麻生氏の頃)の時には「一次ソース」という言葉をしばしば見かけていたのに、
民主政権になってから、見ることが少なくなったなあと思うんです。

加えて、
以前は「ネットで国会中継を見ましょう」とか、「大マスコミのフィルタリングがない政治家本人のブログを読もう」とか、そういうタイプの拡散もそれなりにあったのに、
最近は、「○○という法案が危険だ」とか、「日本を守れるのはこの人しかいない」とか、そういう情報だけがどうにも先走り気味な印象を受けます。

情報拡散の場の主流が、誰でも手軽にできるツイッターとかに移ったことが原因としてあるんでしょうかね。
喫緊性の高い問題があまりにも多くなりすぎた、ということもあるかもしれません。

ですが、こういう時だからこそ、より信頼性の高い情報源がある情報を見抜く力が必要ですよね。
これがないと、偽装工作員の策略にはめられます。

かくいう私自身も、以前と比較して情報源がまとめwikiだったり個人ブログだったりして、
情報源をより深く掘り下げることを怠るケースが多くなっているような気がしたので、自戒の念を込めて…。