サイバー攻撃問題を通して、「安全管理という仕事」を考える(2)

皆様お疲れ様です。ピースです。
本日は天長節。
今上陛下84歳のお誕生日です。

そして、私もいよいよ公私ともに年越しの準備で忙しくなり、「年末」という感じになってきましたね。

本題は、前回の続きです…

が、本来書こうと思っていたことの前に、今週、タイムリーな話が来たということで。
12/18産経新聞1面より。 “サイバー攻撃問題を通して、「安全管理という仕事」を考える(2)” の続きを読む

サイバー攻撃問題を通して、「安全管理という仕事」を考える(1)(ついでに、国家試験の合格報告も)

皆様こんにちは。ピースです。
早いもので、本年ももう残り2週間ほどとなりましたね。

今回は、Wordpressブログに移転してから初の、エントリ分割で一連のテーマを取り上げる形式です(今回は多分2エントリですが)。
内容は、以前の読書ログのレビューまとめの追加コメントにも書き、そして先日もやると言いながら放置していた、サイバー攻撃に関する話題です。

これまたもう2ヶ月近く前の記事になってしまいましたが、10/26産経新聞3面より。 “サイバー攻撃問題を通して、「安全管理という仕事」を考える(1)(ついでに、国家試験の合格報告も)” の続きを読む

【参加報告】緊急集会 尖閣・沖縄そして台湾 ~中国の侵略・覇権を断乎阻止しよう~

皆様おはようございます。ピースです。
今日は、いつもと一味違う前置きから。

将棋棋士の羽生善治さんが、永世7冠を達成されましたね!
7冠独占を達成されたときは私はまだ小学生でしたが、かなり話題になりましたので、割と鮮明に覚えています。
しかし、「独占」という短期間のインパクトだけでなく、「永世位」という、タイトルを保有し続け、あるいは何度も獲得できる実力を保たなければ獲得できない称号を全タイトル(最近タイトルに昇格した叡王は除きますが)で取るというのは、凄いという言葉しか出ません。
私も、「まだまだ上を目指す」という気持ちを、いつまでも忘れないようにすることが大事だと教えていただいた気がします。

さて、本題は、参加からもう1ヶ月近くも経ってしまったのですが、11/11に行われました、「緊急集会 尖閣・沖縄そして台湾」への参加報告です。
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「護国経営コンサルティング」の臼田寛氏に本ブログを取り上げていただいた件を、私の(ブログ執筆含む)活動理念についても交えて

皆様お疲れ様です。ピースです。

前置きはほぼ前回のコピペですが、重要事項なのでもう一度書きます。

明日、10/22は、衆議院議員選挙の投票日です!
これまで毎回言ってきていることですが、有権者の皆様は、必ず投票に行き、自分の意思で一票を入れてください!
なお、今回はこちらでお話しました参院選とは違い、比例代表は「拘束名簿式」なので、政党名を書かないと無効票になります!
お分かりの方は、「何をいまさら」と思われるでしょうが、くれぐれもご注意くださいね。

では、本題に入ります。
先日(と言っても、これももう50日くらいも前ですが)、「護国経営コンサルティング」の臼田寛氏に、この「和の心」ブログをご紹介いただきました。

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女性専用車両に関する意見が、Web産経ニュースで取り上げられた話。英国での議論の引用、さらには偏向フェミニズム全般に関して

皆様お疲れ様です。ピースです。
10月になりました。
年度後半ということで、会社で本流の業務を取り扱う部署に配属されてからは、初の繁忙期が徐々に近づいています。
慣れないことも多くて大変になるだろうとは思いますが、頑張りどころですね。

さて、本題は、前々回のエントリに続き、Web産経ニュースからの引用ですが、今回はだいぶ前、8/24の記事より。

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「電波オークション」と放送法、そして衆院解散のことも

皆様こんにちは。ピースです。
更新間隔が1週間空いてしまいました。

学会での発表を無事に終えても、次は9月末までの論文の投稿があり、その先は年度後半の業務対応も増えてくるだろうと思います。
さらには、自分の勉強もあるので大変ですが、ここが頑張りどころですね。

さて、今日は本題は、紙面ではなくWebの産経ニュース、9/12の記事から。
(紙面については、本ブログでも前回のようにたびたび図や写真付きの引用を行っていますが、普段は1面と、そこで興味があった話題の関連記事しか目を通すことが出来ていないので、Webニュースで取り上げられる話題は、「あれ、こんな記事があったのか」ということが多いんです…)

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北朝鮮のミサイル発射…この「国際社会の常識が通用しない国家」に、いかに対峙するか

皆様おはようございます。ピースです。

3連休ですが、台風と前線で、特に西日本は大荒れの天気になっている感じですね。
東京は今晩にかけてという感じですが、前エントリで申し上げました通り、私は足を痛めてしまい、一時期は歩くのも若干辛い状況に陥ったので、家でゆっくり過ごしています。(ちなみに、出水時観測も、今回は行われないことになりました。)

さて、今日から久しぶりに、ガチ度高めな政治・社会の話題を、3~4回ほど取り上げると思います(もちろん、間に読書ログの転載等を挟む可能性はありますが)。
今回も含めて、だいぶキツイ語気での意見も書かせていただくと思いますが、これも「このブログという場だからこそ書ける本音」ということで。

そして、今日の話題は、前エントリで「Jアラート」というキーワードも申し上げておりました通り、北朝鮮のミサイルに関してです。

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「和の心」このブログタイトルのキーワードに込めた意味を、今こそ見直してみる(3)-「足し算の解」編

君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず
 -君子和而不同、小人同而不和。

(立派な人間は、人と調和するけれども付和雷同はしない。つまらない人間は、付和雷同するだけで人と調和することがない。)

「和すること」と「同ずること」は、似て非なるものです。「和」は、調和の「和」。一方、「同」は、雷同の「同」です。知徳を備えた立派な人間である君子は、周囲の人々と調和してなごやかに付き合います。でも、しっかりとした主体性をもっているので、決して軽々しく雷同することはありません。
この「君子」と正反対なのが「小人」です。「小人」は、元来は、身分の低い者を指しますが、そこから派生して、人格の低い者、つまらぬ者をいいます。知徳に書けるつまらない人間である小人は、自分自身の考えを持たないので、ただ妄りに迎合するばかりで、周囲の人々とうまく調和することができません。

(孔子『論語』/八木章好『心の「ツボ」に効く漢詩・漢文』より)

ディスカッションとダイアローグ

よく、話し合いのことを「議論」とか「ディスカッション」と呼びます。そのための練習で「ディベート」という方法もあります。
ディスカッションの語源は、「徹底的にたたく」という意味のことばです。また、ディベートの語源は「たたかい」です。
いずれも、民主的に「数の勝者」になるために必要な対立型コミュニケーションです。
すべてがそうとはいえませんが、会社の会議でも、ボランティア活動の集会でも、果ては小学校の学級会でも、その力はを最優先に試されていると言っても過言ではありません。

しかしながら私は、「必ず勝ち負けが存在する」、そんな対立型コミュニケーションからから脱皮し、その段階を越えて、次世代は「共感・共生型コミュニケーション」に進化していくべきだと考えています。

たたく、たたかう、という語源を持つ行為では、それは成し遂げられません。
そのための方法のひとつとして、「ダイアローグ」という話し合いの概念にスポットを当ててみたいと思います。

〇と△では似ても似つかない形ですので、なかなか共通点が見当たりませんね。そのため文字通り、「相手をたたき潰す」ディスカッションが激化します。
ここでダイアローグ(対話)をするには、「〇と△の両方を満たすものはないだろうか」と考えることから始めます。

たとえば、平面図としてとらえている〇と△を、立体的に見るとどうでしょうか、〇や△ではなく、どちらも実は円錐という立体だったとしましょう。すると、まったく相容れないように見えた〇や△との間に、共通点を見出すことが可能になります。

「本質は両方とも円錐だったのに、〇支持派は下からだけ見ていたのではないか、一方の△支持派は横から見ていたのではないか」
つまり、結局のところ両者は同じものを違う角度から見ていただけだった、その事実に気づくことができるようになり案す。これに気づくと、それまで向かい合って対立していた集団は、たちまち同じ方向を向くことができるようになります。

(内山雅人『天才のノート術 連想が連想を呼ぶマインドマップ <内山式>超思考法』より)

皆様こんにちは。ピースです。
明日は8/15ですね。

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今年も参加しました!第9回「土木と学校教育フォーラム」皆様にも考えてほしい、防災行動に関する問題も

皆様こんにちは。ピースです。
休暇の真っただ中ですが、都内は大荒れはしないものの、なかなかすっきりしない天気が続きますね。

さて、今日は一言だけの前置きでしたが、本題。
このブログ、多くの記事からリンクを貼り続けているメインエントリをはじめとして、”Military”と”Civil”という対比をしながら、活動報告や本からの引用を通して、私の考えを取り上げていますね。
というわけで、先日の活動報告が「自衛隊」への感謝の気持ちを伝えるキャンペーンという、(少なくとも公的組織としては)Military面のお話だったので、今回はCivil的な活動報告のお話をしましょう。
(そして、前エントリに申し上げていた「『資料』を取りに行くだけに会社に立ち寄った」というお話も、これに関する資料のことですw)

去る8/6(まさに、上記の自衛隊キャンペーンの次の日ですね)は、第9回「土木と学校教育フォーラム」に参加してきました!

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「和の心」このブログタイトルのキーワードに込めた意味を、今こそ見直してみる(2)-「平和」編

「災害死史観」と「紛争死史観」という違い

彼ら(ブログ筆者注:欧米をはじめとする外国人の方々を指しています)の死は紛争で殺された死であり、恨む相手がいない死とはかなり違うものである。愛する者は他人に殺されたのであるから、恨みを残して死んでいったに違いない。したがって、残された者は、死んでしまった愛する者のために、殺した相手を恨んで恨んで恨みぬき、そして殺した相手にいつかは復讐するという誓いを立てなければ、この死を受容できるはずがない。彼らの死の受け止め方は、論理的に考えて、そうならざるを得ない。
私たち
(ブログ筆者注:もちろん、上記の「彼ら」に対応して、日本人を指しています)の死は、普段は恵みをもたらしてくれる自然の気まぐれで死んでいったのだから、恨む相手がいないし、復讐のしようがない死である。これは、無理やりもたらされた死への怒りをぶつける対象がないという、本当に悲劇的な死の受容である。
この受け入れるしかないという厳しい死の受け止め方が私たちに、東日本大震災でも阪神淡路大震災の際にも、世界中の人々が驚愕するような、冷静な死の受け止め方と見えるような態度をもたらしたのである。この死は諦めて受容するしかない、絶対的に悲しい死である。しかし、それこそが「災害死史観」をもつ私たちと、恨みぬいて復讐の誓いを立てることでその死を受容せざるを得ない「紛争死史観」を持つ彼らという違いを生んでいるのである。

日本人に理解できない正義の殺戮

「西欧人には理解できても日本人には理解できない領域」があるとでも考えなければ、理解できないことがある。たとえば、「正義の実現のためには人命という犠牲を伴うことがあってもやむを得ない」という西欧人が持つ感覚はわれわれにはない。

何を経験し、何を経験しなかったか

このように、経験の差をみてみると、われわれ日本人だけが、何か隔絶した経験の違いをもった民族だと考えられる。

(大石久和『国土が日本人の謎を解く』より)

皆様こんにちは。ピースです。

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