「災害死史観」と「紛争死史観」という違い
彼ら(ブログ筆者注:欧米をはじめとする外国人の方々を指しています)の死は紛争で殺された死であり、恨む相手がいない死とはかなり違うものである。愛する者は他人に殺されたのであるから、恨みを残して死んでいったに違いない。したがって、残された者は、死んでしまった愛する者のために、殺した相手を恨んで恨んで恨みぬき、そして殺した相手にいつかは復讐するという誓いを立てなければ、この死を受容できるはずがない。彼らの死の受け止め方は、論理的に考えて、そうならざるを得ない。
私たち(ブログ筆者注:もちろん、上記の「彼ら」に対応して、日本人を指しています)の死は、普段は恵みをもたらしてくれる自然の気まぐれで死んでいったのだから、恨む相手がいないし、復讐のしようがない死である。これは、無理やりもたらされた死への怒りをぶつける対象がないという、本当に悲劇的な死の受容である。
この受け入れるしかないという厳しい死の受け止め方が私たちに、東日本大震災でも阪神淡路大震災の際にも、世界中の人々が驚愕するような、冷静な死の受け止め方と見えるような態度をもたらしたのである。この死は諦めて受容するしかない、絶対的に悲しい死である。しかし、それこそが「災害死史観」をもつ私たちと、恨みぬいて復讐の誓いを立てることでその死を受容せざるを得ない「紛争死史観」を持つ彼らという違いを生んでいるのである。
—日本人に理解できない正義の殺戮
「西欧人には理解できても日本人には理解できない領域」があるとでも考えなければ、理解できないことがある。たとえば、「正義の実現のためには人命という犠牲を伴うことがあってもやむを得ない」という西欧人が持つ感覚はわれわれにはない。
—何を経験し、何を経験しなかったか
このように、経験の差をみてみると、われわれ日本人だけが、何か隔絶した経験の違いをもった民族だと考えられる。
皆様こんにちは。ピースです。
休暇中ですが、昨日は運転免許証の更新に行ってまいりました。
私は中型免許が新設される直前に取得したので、今は中型8トンという扱いですが、前回から今回の間に「準中型」というのが新たにできたんですね。
まあ正直、ペーパードライバーなのですがw
都内では運転する機会も、そうそうないですね…
で、本日はこのブログ記事をアップした後、資料を取りに行くためだけに一時出社しますw
いやぁ、この休暇中に、土木学会の勉強会の話題を書こうと思っていたのですが、その資料を置いてきてしまいましたもので^^;;
さて、今日の本題は、「和」という漢字に込められた意味を個別に取り上げて、色々解釈の幅を広げてみようという試みをしているシリーズ記事の続きです。
そして、冒頭の引用は、本年度その土木学会の第105代会長に就任されました、大石久和先生の著書からです。
先日の「黒田裕樹の歴史講座」の参加報告において、
実は、最近私が読んでいたある本で、諸外国の都市における「城壁」に関する記述があったのを見受けました。
(この本については、今はまだ伏せておきますが、今後本ブログで「10エントリ前後のシリーズで取り上げる」という、シリーズの長さとしても、それを「書籍一冊に対して行う」ということについて言っても、初めての試みをする計画を立てています。)
ということを書いていたのですが、
実は、その本こそが、まさにこの『国土が日本人の謎を解く』です!
この本、本当に凄いです。
土木という分野を知らなくても、「我こそ、我が国を愛する者、真正日本人なり」と自負される方には、是非読んでいただきたい一冊です。
そして、私としては、その著者の大石久和先生を今年度の会長に据えた土木学会にも、「マジか!やってくれる!」と思わされましたね。
で、今回は上記の、「単独でのシリーズ」に先駆けまして、こちらのシリーズの「平和」編にて引用させていただく形になりました。
前回のエントリ、「自衛隊への感謝」を通して、政治的気運を広げるための活動への参加報告でした。
特に、このような活動がこれだけ受け入れられるようになった背景には、やはり東日本大震災をはじめとする数々の災害における自衛隊の救助活動が(政治的には別として、一般社会には)受け入れられているためであることは、疑いの余地がないでしょう。
しかしながら、「自衛隊の役割は、やはり『国防』が主であって、災害救助は従の話だ」ということを仰る方も、FBやツイッターのタイムラインを見る限りでは、たくさんいらっしゃいます。
これはこれで、私は一つの意見として理解できることです。
でも、私は敢えて言わせていただきます。
「少なくとも社会的な機運を高めるための手段に限っていえば、その本来の役割では『従』にあたる話を、『主』に持ってくるのも大いにアリだと考えている」
と。
そう考える根拠が、今回の冒頭引用にある、日本人独特の経験に基づく「災害死史観」というお話です。
私は、同じ大石先生の月刊Hanadaの記事からの引用のエントリ、そしてその前の土木史のエントリで、
日本の歴史の特色は何かということについて考えますと、
確かに「他国との交流と戦い」も数々ありますが、それ以上に「自然との共存と戦い」を感じさせるエピソードが色々あることなのではないかなあと思っていました。
と書いていました。
一方、それに対して数少ない「他国からの侵略」の事例として、上にも挙げた黒田先生の講座の報告で「元寇」と「刀伊の入寇」についても触れました。
今回の引用では、「死」に対する見方の違いということで、対比していることは同じでも、やっぱり私みたいな若僧が書くよりも、一段も二段も深いなあと思わされるんです。
そして、「受容」と言うと、今年の東日本大震災の時に取り上げた和辻哲郎の『風土』でも、モンスーン気候に住む人々の考え方の特色を「受容と忍従」というキーワードで表しています。
(ただし、これは精神療法の理論の一つである森田理論について引用した時にもあった通り、死に対しては「恐怖」が全くないわけではないんですよね。この辺が、併せて考察するにはなかなか難しいなあと思います…)
ここで、言いたいことは2つ。
1つ目は、「日本」編で書きました、
「戦争をなくす」ためには、有事のことをきちんと把握し、考えていなければなりません。
そしてこれは、メインエントリにも書き、他のところでもこれまで何度も何度も述べてきた通り、”Military”的な意味ばかりでなく、この言葉の「戦争」を「災害」に置き換えれば、”Civil”的な意味でもまた然りということが分かるでしょう。
という記述に結び付けてです。
「日本」編での川北氏の著書の引用で、「グローバル」という言葉が出ましたが、「有事のことをきちんと把握」するために軍を持つというのは、少なくとも”Military”面については、間違いなく「グローバルスタンダード」と言えるでしょう。
サヨク(パヨク)っていうのは、他のことに対しては「グローバル」を連呼しますが、この「軍」に関することは「グローバルスタンダードに合わせろ」とは絶対に言わないということについて、私は強い憤りを覚えるんです。
一方で、”Civil”的な意味の話は、上記の通り、日本の国土特性に基づいた難題に立ち向かう為の「独自路線」とも言えます。
このブログではしつこく言ってきていることですが、日本を「平和ボケ」ではない「真の平和な国」にする為にも、どちらも欠かしてはならない視点です。
2つ目。
紛争での死を、日本人が「経験しなかった」という話。
この「経験しなかった」という表現、本ブログをずっと読まれている方には、何かピンときませんでしたか?
そう。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
やっぱり、これなんですよ。
今は、時間距離の短縮、あるいはただ短縮されただけでなく、船や飛行機もそう簡単に難破、あるいは墜落はしなくなったということもあって、やっぱり歴史上の大きな出来事があった時代から比べても、「侵略」とか「紛争」とかに巻き込まれるリスクは、日本も高まってきていると言えるでしょう。
これは、私たちが「経験しなかった」ことである以上、必然的に「経験には学べない」ことです。
だからこそ、「歴史に学ぶ」ことは重要だし、より意義深くなる、ということです。
以上、今回は「日本」編に続いて、自己紹介で「ピース」というHNの由来だとも述べている、「平和」編の話でした。
が、しかしです。
ここで終わったら、(文章の切り口はかなりオリジナル性の高いところもあるとはいえ)まだ平凡な「自称真正日本人」の域を出ないと私は考えます。
「和」という漢字には、もう1個意味がありますね。
次回(といっても、最初の方で言った土木学会の勉強会の報告の後になると思いますが)、これまで2回分の内容も参照しながら、それについて文章にする予定です。
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