【参加報告】黒田裕樹の歴史講座 第61回「日本外交史 その弐」(3)

皆様こんにちは。ピースです。
読書ログのレビューを一旦挟みましたが、歴史講座の報告の続きを、ということで。

前回は3.元寇で見せた「鎌倉武士の意地」を取り上げましたので、今日は4.神風をもたらした「断固たる決意」以降を取り上げたいと思います。

我が国の強硬な姿勢に対して、再び日本を攻める決断をしたフビライは、1279年に南宋を滅ぼすと、返す刀で1281年の5月から6月にかけて、兵数約14万人という前回の4倍以上の兵を、二手に分けて再び博多湾に差し向けました。

軍船約4,000隻の大船軍団が博多湾を覆いつくすかのように来襲し、それこそ黒雲のような矢の雨を降らせてきましたが、防備力の高い石塁が存在していたことや、文永の役を経て相手の戦法を理解していた幕府軍が冷静に戦ったこともあって、元軍はなかなか上陸ができませんでした。

それでも、元軍の一部が幕府軍の守備の及ばない搦め手から上陸し、博多の街に侵入して乱暴狼藉を働きましたが、すぐに幕府軍に見つかって、街中で激しい戦いを繰り広げました。

一方の幕府軍も、夜になって周囲が真っ暗になると、夜陰にまぎれて敵船に乗り込んで火をつけ、あわてた敵兵を討ち取ると言ったゲリラ戦を敢行するなど健闘を重ね、戦いは膠着状態となりました。

そして7月1日(現在の暦で8月16日)、北九州方面を襲った大暴風雨によって、元軍の乗っていた軍船がことごとく破壊され、多くの兵が亡くなりました。戦意を喪失した元軍は高麗へと引き上げ、国内に残った兵も幕府軍の掃討戦によって討ち取られました。元軍との二度目のこの戦いは、当時の年号から「弘安(こうあん)の役」といい、文永の役とともに元寇と呼ばれています。

実は、最近私が読んでいたある本で、諸外国の都市における「城壁」に関する記述があったのを見受けました。
(この本については、今はまだ伏せておきますが、今後本ブログで「10エントリ前後のシリーズで取り上げる」という、シリーズの長さとしても、それを「書籍一冊に対して行う」ということについて言っても、初めての試みをする計画を立てています。)
確かに日本には、そういう都市城壁のような「紛争や侵略に備えてできた壁」って、本当にないよなあと思うんです。
そう考えると、(実際はどうなのか分からないところなので、単なる個人的印象ですが)、今まで書いてきた、

「日本が受けた他国からの侵略」というと、義務教育レベルで習う歴史の範囲だとほぼ唯一と言えるのが、この「元寇」

だというのと同じように、その元寇に備えてできた「石塁」こそが、唯一の「紛争や侵略に備えてできた城壁に近いもの」と言えるのかなあと思います。

昔からの名言に「天は自ら助くる者を助く」とありますが、圧倒的な軍事力を誇る大帝国の元に対し、祖国を護る意思を明確にした北条時宗の決断そのものが、我が国にとっての「神風」となり、同じく我が国を護るために立ち上がった鎌倉武士団が断固たる戦いを繰り広げたことによって、その「神風」が激しく吹き荒れたと言えるでしょう。

時宗による「我が国は世界に冠たる独立国である」という断固たる意思は、かつて遣隋使を送った聖徳太子以来の「国是」であると同時に、我が国固有の領土である尖閣諸島をしきりにうかがっている現代の「元寇」にもつながる大きな教訓ではないでしょうか。

これまでこのシリーズも含めて何度か申し上げてきましたように、私は日本史というと、「自然との戦いと共生」に関するエピソードが、(高校レベルまでの「日本史」という科目の中で取り上げられるかは別としても)数多く残されているのが、他の国にない特徴だと考えています。
それで、この「神風」もそうなのですが、本エントリでは省略しましたが、今回の講座ではその前段階に、「元軍はこれまで陸続きの土地を支配下に置いてきたために海戦は不慣れだった、そしてその影響もあって騎馬軍団が使えなかった」というお話もありました。
このようにして、相手の得意戦法を封じるということも含めて、「地の利」っていうのは、まぎれもなく存在するものです。
そして、私自身も「国土」を相手にする仕事だからこそ、国の自然的な成り立ちとか、気象とか、そういうことに関する特性は、いくら知っても知り過ぎることはないのだろうと考えています。

もう一つ、「天は自ら助くる者を助く」というこの名言に関してですが、私もこれまで自己啓発書からの引用などを数多くやってきています。
やはり、「名著」と言われる本を書かれた先人の方々が共通して言われているのは、概して「環境を変えたいなら、まず自分自身を変えること」ということなんですよね。
これは、先月読書ログのレビューで話題にした『7つの習慣』でいうなら、「インサイド・アウト」というキーワードなどが、その代表例になるでしょう。
そして、これは個人レベルだけでなく、皆様一人一人がその一員として所属する集団である「会社」あるいは「家族」、そしてそれをもっと突き詰めれば「国家」である、という言い方ができると思います。

最後の5.については、「元寇抹殺計画」の部分を、要約のみで取り上げることにします。
実は、この「元寇」も、こちらで話題にした「聖徳太子」→「厩戸王」という問題と同様に、「モンゴルの襲来(元寇)」という表記変更の問題が上がったんです。

これに関しては、自民党参議院議員の山田宏先生がこちらに示すような問題提起をしています。

上記の「厩戸王」問題のリンク先にも書かれていますが、黒田先生は、「事実を検証することなく、自分らの勢力にとって都合のいいときだけ『歴史修正主義』を連呼する二重基準論者は容赦なく糾弾されるべきだ」という考えをお持ちの方です。
そして私も、この考え方には大いに賛成です。

ですが、裏を返せば、大事なことは「愛国派、あるいは真正日本人と言われるような言論を提起されている方々が、『その逆方向の』ダブルスタンダードをやらかさないようにする」ことであるとも言えますね。
だからこそ、「事実を学び」、そしてそれをもとに「自らの言説に対する論理武装をしっかりする」ということが肝要だ
というわけです。

…という感じで、最後の「元寇抹殺計画」に関しては少しきついことも書きましたが、
全体の感想として、もう一つ言いたいことができましたので、それを書いて今回の講座の報告の締めにしたいと思います。

以下は、今年の年始にあった伊勢雅臣先生の講演会の参加報告のエントリから引用。

  • 安倍首相の昨年の真珠湾訪問は、「謝罪」ではなく、米軍と日本軍双方への「慰霊」のためのものであった
  • 「かつての敵国から現在の同盟国へ」という関係に至った日米両国で、「勇者が勇者を敬う」ということによる相互理解と信頼が生み出されたのは素晴らしいことだ。そしてこれは、日本の武士道と欧米の騎士道に共通する考え方から出来上がったものに違いない
  • かつて、「リメンバー・パールハーバー」というと、「日本が真珠湾を宣戦布告もなしに攻撃するということをやったから、その日本を討ち取れ」ということだった。でもそれが、今や「和解」の象徴となる言葉になりつつあるという歴史的な大転換を見ているのかもしれない

ここで、何でこれを引用したのかというと、以下のようなお話です。

一昨日(7/23(日))まで行われていた大相撲名古屋場所、白鵬が39回目の優勝という結果になりました。
この白鵬という力士、朝青龍ほどではなかったものの、かつては横綱としての品格とか態度とか、物議をかもした力士でもあります(今も多少言われることがありますが)し、
他方では日本の大相撲もずっとモンゴル人が台頭してきて、やっと日本人横綱として名を上げた稀勢の里も休場続きということで、危機感を感じるとの声もありますね。

でも、この白鵬という力士、少なくとも、「外国語」を学ぶことの大変さをほんの一端かもしれないながら理解している私から言えば、ビックリするくらい日本語が流暢です(39回目なので「サンキュー!」と言ったのは、私も笑わせていただきましたw)し、千秋楽の取組後の表彰でも、(少なくともカタチの上では)君が代を歌われる方ですよね。
で、その日の産経抄に書かれていた(優勝はその時点ではまだ決まっていませんでしたが、通算勝ち星数の記録更新で話題になっていましたため)のですが、実は白鵬関、「日本に帰化する意向もある」ということなんだそうです。

まあ、それをどう考えるかはひとまず置いておきまして、この講座の報告でも取り上げましたチンギス・ハーンですが、当然ながら現在のモンゴル国において国家創建の英雄として称えられている歴史上の人物でもあります。

私に言わせてみると、こういう歴史上の関係があった両国間でも、現在に少なくとも「文化上の交流」があるというのは、考えてみればとても素敵なことなんだと思うんです。

というわけで、この伊勢先生の講演にある「勇者が勇者を敬う」ということによる相互理解と信頼、これが日本とモンゴルという両国にも確立されれば、まさにそこで述べた「win-winの関係を築ける『希望の同盟』」という国交のあるべき姿にも沿えますし、そしてそれが「三民族問題」にも繋がってくるという見方もできるのではないかと考えます。

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