「和の心」このブログタイトルのキーワードに込めた意味を、今こそ見直してみる(3)-「足し算の解」編

君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず
 -君子和而不同、小人同而不和。

(立派な人間は、人と調和するけれども付和雷同はしない。つまらない人間は、付和雷同するだけで人と調和することがない。)

「和すること」と「同ずること」は、似て非なるものです。「和」は、調和の「和」。一方、「同」は、雷同の「同」です。知徳を備えた立派な人間である君子は、周囲の人々と調和してなごやかに付き合います。でも、しっかりとした主体性をもっているので、決して軽々しく雷同することはありません。
この「君子」と正反対なのが「小人」です。「小人」は、元来は、身分の低い者を指しますが、そこから派生して、人格の低い者、つまらぬ者をいいます。知徳に書けるつまらない人間である小人は、自分自身の考えを持たないので、ただ妄りに迎合するばかりで、周囲の人々とうまく調和することができません。

(孔子『論語』/八木章好『心の「ツボ」に効く漢詩・漢文』より)

ディスカッションとダイアローグ

よく、話し合いのことを「議論」とか「ディスカッション」と呼びます。そのための練習で「ディベート」という方法もあります。
ディスカッションの語源は、「徹底的にたたく」という意味のことばです。また、ディベートの語源は「たたかい」です。
いずれも、民主的に「数の勝者」になるために必要な対立型コミュニケーションです。
すべてがそうとはいえませんが、会社の会議でも、ボランティア活動の集会でも、果ては小学校の学級会でも、その力はを最優先に試されていると言っても過言ではありません。

しかしながら私は、「必ず勝ち負けが存在する」、そんな対立型コミュニケーションからから脱皮し、その段階を越えて、次世代は「共感・共生型コミュニケーション」に進化していくべきだと考えています。

たたく、たたかう、という語源を持つ行為では、それは成し遂げられません。
そのための方法のひとつとして、「ダイアローグ」という話し合いの概念にスポットを当ててみたいと思います。

〇と△では似ても似つかない形ですので、なかなか共通点が見当たりませんね。そのため文字通り、「相手をたたき潰す」ディスカッションが激化します。
ここでダイアローグ(対話)をするには、「〇と△の両方を満たすものはないだろうか」と考えることから始めます。

たとえば、平面図としてとらえている〇と△を、立体的に見るとどうでしょうか、〇や△ではなく、どちらも実は円錐という立体だったとしましょう。すると、まったく相容れないように見えた〇や△との間に、共通点を見出すことが可能になります。

「本質は両方とも円錐だったのに、〇支持派は下からだけ見ていたのではないか、一方の△支持派は横から見ていたのではないか」
つまり、結局のところ両者は同じものを違う角度から見ていただけだった、その事実に気づくことができるようになり案す。これに気づくと、それまで向かい合って対立していた集団は、たちまち同じ方向を向くことができるようになります。

(内山雅人『天才のノート術 連想が連想を呼ぶマインドマップ <内山式>超思考法』より)

皆様こんにちは。ピースです。
明日は8/15ですね。


私は朝から、靖国神社でイベントの予定です。

「不戦の誓い」これもやはり、理想としては大事かもしれません。
しかし、その理想を現実のものとするためにも、先人の想いにしっかりと耳を傾け、「戦わないと護れないものもある」ということを認識することが必要です。
そして、
(実は、ここだけはどうしても、本題の話と矛盾してしまう部分なのですが)私は、こちらにも書いた通り、気持ちとしてはもう「情報戦」という「戦い」の中にすでにいるというつもりで、このブログに書く内容と向き合っています。

では、今日の本題です。
「和の心」というブログタイトル、その「和」という漢字に込められた意味を個別に取り上げて、色々解釈の幅を広げてみようという試みをしているこのシリーズ記事です。

今回は本当に、その締めに相応しい切り口から取り上げてみようと思います。

冒頭の引用は2つ。
1つ目は、このエントリ以来の漢文、それもあちらと同じ『論語』からの引用。
この引用元では「和而不同」の「和」を、「調和」という意味として解釈していますが、「調和」だと「平和」とやや重なるかなあと思いまして、「これまでと独立な第3の意味付けをするならどうすべきか?」と考えた結果、タイトルの「足し算の解」という表現に行きつきました。
理系の方向けには、「ギリシャ文字のΣ(シグマ)で表されるアレ」と言ったらお分かりですねw

そして、2つ目はこの「人と調和するけれども付和雷同はしない」という具体例として捉えることができる、内山氏によるマインドマップの本からです。
「マインドマップ(R)」自体は、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、トニー・ブザン氏の考案した思考・発想のためのツールで、現在は登録商標にもなっています。
ただ、引用箇所はこのマインドマップそのものの話というよりも、それをどういう考え方のもとに活かしていけばよいのかという記述と考えていただければ良いと思います。

主旨をごく簡単にまとめますと、「ものの見方、あるいは考え方の違いを尊重し、より良い第3の案を創る」ということになりますね。
まあ、誰の事かはここではあえて申し上げませんが、こういう考え方が全くできずに、というかする気もなく、ただ「自分の考えを押し通し、数で勝つことがすべて」と考えている人間がいる(あるいは「企業組織」、「政党」、そして下手をすると「国家」にまで、そんなロクデナシなのもいる)ということが、この社会に混乱をもたらす原因のひとつとも言えるでしょう。

ただし、はっきり申し上げまして、これは本当に「言うは易く行うは難い」ことです。
(だからこそ、前置きのような矛盾も出てくるのですが…)
そこで私は、その実践を考えた時に、こういうことも言えるのではないかと申し上げてみます。
「『他人』との見方の違いを尊重するというだけでなく、『自分』の中において一つの物事に対する複数の視点を持つことでも、この能力は鍛えられる」
と。

例えば、「一つの物事に対する複数の視点を持つ」というと、「和の心」の「和」という漢字の意味から、ここを含めて3つのエントリを書き上げた、このシリーズ自体もそうです。
もう一つ挙げると、「平和」編も含めて、ここ最近重点的に取り上げて来た、”Military”と”Civil”の話も、「国家予算」だとか、そういう面だけを見れば、両立しない要素(仕事人間の好きそうな言葉でいうなら「トレードオフ(trade-off)」ですね)になるのかもしれません。
でも、実際は決してそうではなく、〇と△の話と同じように、「国民の平和と安全保障」というまた別の面から見ることによって、「その両方をアップデートする必要性」、あるいは「どちらか一方でも改善できれば、他方も比較的容易に改善できる可能性」が見出されるわけです。

そして、「見方・考え方の違いを尊重し、より良い第3の案を創る」という話に戻ります。
これは、以前私のブログで取り上げた、「日本は多神教国家」という観点から述べた「多様性」の話にもつながりますね。
実は、前エントリでお話した「クロスロード」の矢守先生も、「これは、やるたびに新しい発見がある」と仰っていました。
そして、前回の1.の質問に関しても、「実際にこういう意見を受けて、被災地におけるペットの扱いは、多くの自治体で取り決めがなされている」という話もお聞きしています。
これも「土木と学校教育」ということで、「技術者」と「教育者」の目の違い、あるいはこのペットの話のように一人一人が置かれた住環境の多様性を尊重することによって、はじめて新しい方法が生み出されるということが言えますね。

ここまで書いたところで、さらに「足し算の解」の話にまで戻りましょう。
よく、協力関係って、「1+1が3にも4にもなる」とか、そういう例えがされますよね。
算数やら数学では「1+1」はどこまで行っても2で、解は全く変わりません。
でも、人間関係はそうではなく、協力関係により「1+1が3にも4にもなる」こともあれば、逆に対立関係にしかならなければ「1+1が2にもならない」ということもあります。
これは書いてきた通り、後者しか望まない者と対峙するととても難しいことですが、私自身は、「日本」編、「平和」編で書いてきたことも踏まえながら、前者を目指す姿勢を常に忘れないようにしたいものです。


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