平成28年12月の読書ログレビューです(転載年月日:H29.7.30)。
今年は本格的に、「他の誰でもない私だからこそ」書けることをたくさん書いた一年;振り返ってみて、その原動力は何だったか?(2)-対内的要因
アイデアや発想法について書かれた本を開いていけば、様々な定義を見つけることができます。その中でも一番シンプルで、分かりやすいものが『アイデアのつくり方』を書いたジェームス・W・ヤングの定義でしょう。彼はその著書の中で、次のように書いています。「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」
皆様こんにちは。ピースです。
帰省先からの更新です。
帰省先からの更新です。
いよいよ、平成28(2016)年も残すところ9時間を切りました。
このブログをお読みの皆様方にとっては、どんな1年だったでしょうか?
出だしでこの問いを投げかけたところで、今回の本題です。
実は、この話題については、2週間前に前半部分を書いていたのですが、そちらでは「対外的要因」、つまり私が本ブログを通して外への働きかけを行った要素として、黒田裕樹先生の歴史講座への参加と、ブログランキング及びブログサークルへの参加をあげました。
というわけで、今回は「対内的要因」、つまり本ブログを書くにあたって私が自発的に「こういうことを考えた」という要素、あるいは外から影響を受けて「こういうことをやってみたいと思った」という要素について、お話してみたいと思います。
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「水防災意識社会再構築ビジョン」に関する個人的解釈(3)-ソフト対策
皆様こんにちは。ピースです。
昨日、勤務先の仕事納めが無事に行われました。
しかし、茨城でまた地震が発生しましたね。
防災で最終的に大事になるのは、なんだかんだ言って「国民/地域住民各々の意識」です。
繰り返しになりますが、物理的にも心理的にも必要最低限の備えは欠かさないようにしましょう。
…という話をしたところで、本題は「水防災意識社会再構築ビジョン」の話題の続きです。
「水防災意識社会再構築ビジョン」に関する個人的解釈(2)-ハード対策
皆様こんにちは。ピースです。
今年も残すところ、あと4日と数時間になりました。
お仕事、そして新年の準備で皆様忙しいかと思いますが、体調に気を付けて年越しを迎えましょうね。
さて、本題は「水防災意識社会再構築ビジョン」の話題の続きです。
「続き」と言っても、間に一般参賀の報告を挟んだわけですが…
すいません。
改めてこのブログを見直してみると、私は長編記事をきちんと首尾一貫してまとめ切ったケースが本当にほとんどありませんでしたね。
これも、このブログのスタイルということでw
改めてこのブログを見直してみると、私は長編記事をきちんと首尾一貫してまとめ切ったケースが本当にほとんどありませんでしたね。
これも、このブログのスタイルということでw
天長節一般参賀(平成28年12月23日、今上陛下83歳)
皆様こんにちは。ピースです。
水防災の話も現在文章起こしの最中ですが、今日は別の話題。
昨日(12/23)は、今上陛下の83歳のお誕生日ということで、一般参賀に行ってまいりました。
「水防災意識社会再構築ビジョン」に関する個人的解釈(1)-概要
皆様こんにちは。ピースです。
今日からは前エントリで述べました、「今年中にまとめてしまいたいもう一つの話題」を。
タイトルの「水防災意識社会再構築ビジョン」というキーワード、恐らくこのブログをお読みの皆様方の大半はご存じないと思います。
というわけで、まずは国土交通省による政策紹介のページから。
今年は「他の誰でもない私だからこそ」書けることをたくさん書いた一年;振り返ってみて、その原動力は何だったか?(1)-対外的要因
皆様こんにちは。ピースです。
平成28(2016)年も、いよいよあと2週間となりました。
私も年明け1月の下旬には、現在進めている技術開発プロジェクトの外部報告があるので、少しでも年内に作業を進めておきたいところです。
さて、本題。
もしかしたら、このタイトルを見て、「あれ?もうこのブログ、今年はあと1~2記事で更新終わっちゃうの?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
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あまりにもふざけきっているとしか思えない流行語大賞の選考
皆様こんにちは。ピースです。
今日は早速本題。
それも、タイトルだけで、もう言いたいことをここまでド直球に言った書き方は、このブログでは非常に珍しいと思います。
というわけで、流行語大賞、特にその中心は「保育園落ちた日本死ね」という言葉に関する話です。
このブログは大体、世間(ネット含む)で大きな話題になったことは、早くても1週間くらい経ってから取り上げるスタイルでやってきていますので、もうあちこちで散々言われてきたことですね。
ですが、私も改めて、こちらで言わせてもらいます。
【参加報告】 黒田裕樹の歴史講座第57回「平安後期の政治史 ~院政と平氏政権」
皆様こんにちは。ピースです。
年末になり、こちらも仕事のみならず私用でも忙しくなってきました。
(といっても、プライベート面については「前エントリでも書いていた通り、このブログで今年中に更新したい話題がたくさんあるのですが、それがなかなかまとまらない」というのも結構大きいかもしれませんが…w)
皆様も、年越しの準備で大変になってくるかと思いますが、重ね重ね体調にお気をつけて。
さて、日曜(12/4)は、黒田裕樹先生の歴史講座に参加してきました。
今回もいつもと同じように、章立てから。
「有言実行」を、「名著」といわれる書の著者たちに学ぶ
これは、シンシアという女性の12歳の時の思い出です。その時の彼女は、数か月前からずっと、サンフランシスコで講演をする父親とのデートを楽しみにしていました。—と・こ・ろ・が……。当日、父親と講演会場を出ようとしたところでハプニングが起きます。運悪く、父親が昔の仕事仲間と鉢合わせしてしまったのです。数年ぶりの再会を喜ぶお父さんと、その知らないオジサン。そのオジサンは上機嫌で、お父さんに言います。「われわれの会社と仕事をしてくれるなんて嬉しいよ。ところで、埠頭に最高にうまいシーフードを食わせる店があるんだ。よかったらこれから一緒にどうだい。もちろんお嬢さんも一緒にね。」「それはいいね。埠頭でディナーとは、最高だろうな!」とお父さん。—しかし、シンシアの父は続けてこう言ったのです。「でも、今夜はダメなんだ。シンシアと特別なデートの約束をしているものでね。そうだろう?」父親はそういうとシンシアにウインクして、その手を取ると、さっさとその場を離れたのです。
皆様こんにちは。ピースです。
冒頭で引用をやるのは割と久しぶりな気がしますね。
で、はじめに何を申し上げたいかというとですね、