八田與一像の修復および慰霊祭について、産経新聞より

皆様こんにちは。ピースです。
5月も中旬になり、昼間は少し暑く感じる日も出てきましたが、朝晩はまだ薄着では厳しそうですね。
私の周りも風邪を引いた先輩方が複数名いるので、皆様もお気をつけてお過ごしくださいね。

さて、今日の本題はタイトル通りですが、5/9の産経新聞8面からの引用です。
(この話題も、事件発生時にはなるべく早く触れたいと思っていたのですが…)

八田像修復 台湾慰霊祭で対日温度差
市長「絆強く」 蔡総統は欠席

 【台南=田中靖人】台湾南部・台南市の烏山頭ダムで日本統治時代の技師、八田與一の銅像が損壊された事件で、像の修復が終わり8日、例年通り慰霊祭が行われた。日本統治時代の評価によって支持政党が大きく分かれる台湾では、八田像をめぐる立場が政治的な論争の具となった。
 没後75年のこの日の式典には約700人が出席。日本側は八田の親族や出身地、金沢市の市長、対台湾窓口機関、日本台湾交流協会台北事務所の沼田幹男代表(駐台大使に相当)らが、台湾側は行政院農業委員会の林聡賢主任委員(農林水産相)らが参列し、地元メディアも注目した。
事件は、反日的な中台統一派の政治団体に所属する男女が実行。この日も数十人が会場外で「日本人は出ていけ」などと叫んだ。これに対抗する台湾独立派の約50人も現場を訪れ、双方がにらみ合った。
 頼清徳台南市長は式典で「像を破壊した者のたくらみは成功せず、日本と台湾の友情は以前よりも強まった」と強調。頼氏は事件後、日本語で慰問の手紙を送るなど日本側関係者への配慮をみせた。頼氏は与党、民主進歩党で次の総統候補の一人と目されており、対日感情が良好な党支持者に改めてアピールできた形だ。対照的に、同じ民進党の蔡英文総統は距離を置いた。自由時報は4月24日付の東京特派員のコラムで、八田像は「台日友好の象徴」だとして、蔡氏に式典を主催するよう呼びかけた。ダムの管理者、嘉南農田水利会も招待状を送ったが、蔡氏は北西部・桃園市で漁港を視察するなどして式典に顔を見せなかった。蔡氏は事件後、八田に関する発言をしておらず、八田像を「植民地時代の美化」とみる野党、中国国民党系の一部支持者からの批判を恐れた可能性がある。
 一方、国民党では、主席選に出馬している呉敦義前副総統が、過去に慰霊祭に参加したことを「八田を崇拝した」などと批判され、釈明に追い込まれた。国民党の関係者には公有地から蒋介石像を撤去した頼氏ヘの不満が強く、頼氏を「媚日派」などと批判している。

この銅像破壊事件、そしてその後の動きについて以前からご存じだった方、今回この記事の引用で初めて知った/意識した方、色々いらっしゃるでしょうが、皆様はどのような印象を持ちましたでしょうか?
以下に、私の所感を述べてみます。

土木技師・八田與一のことは、私は彼の生涯を学んだことで色々なものの見方が変わったということでメインエントリに取り上げ、そして講演会の参加報告で当時の時代背景や技術者としての功績について改めて学んだことを述べました。
それだけに、銅像が壊された事件のことを知った時には、強い憤りを感じましたね。
(ちなみに、土木学会のFBページでも、この件にはこちらをはじめとして複数回言及されています。)

で、引用元の産経の記事についてのお話です。
日本統治時代については、私も基本的に「(台湾人の視点では「功」の方が大きかったのかもしれないけど)功罪どちらも…」という観点から述べていることが多いです(具体例として、こちらでは「皇民化」に対する「多元化」という話もしましたし)。
そうである以上、国民党が八田像を「植民地時代の美化」とみること自体については、100%は否定できる立場ではないわけです。

ですが、私は一方で、

慰霊祭に参加したことを「崇拝した」などと批判し、釈明に追い込む人間がいるというのは、一体どういうことでしょうか?

と申し上げたいですね。

「慰霊」という単語自体は、年始の伊勢雅臣先生の講演でも少しだけ取り上げましたが、私自身は「先人の功績を土台として」今の私たちがいることを示す意味合いが非常に強いと考えています。
そして、この話でいうと国民党側の方々にしても、台湾の政治にかかわっている以上は、多かれ少なかれ、国籍とか全然関係なく、この烏山頭ダムの恩恵を受けている以上は、その例外にはあたらないわけです。
このように「先人の功績を土台とし、その恩恵を受けている」にもかかわらず、そのことへの感謝の念が感じられないどころか、悪しき面のみ一方的に取り上げるような言論を支持される方に対しては、私は糾弾される声が上がるのが当然だと思います(というわけで、「像を破壊した者のたくらみは成功せず…」という市長の言葉も出たわけですし)。
こういう見方をすると、日本における「靖国の政治問題化」とも共通項がありますね。

前々回、そして前回と、憲法の話を取り上げました。
日本国憲法というと、その前文に、「平和を愛する諸国民」という言葉があることが話題に上がるのを、私はよく見ます。
具体的には、「拉致」と「ミサイル」、あるいは「領土領海侵犯」という形で、日本に対する侵略行為といっても言い逃れできないことを行っている国々のどこが「平和を愛する」国なのか?という感じの批判で取り上げられることが多いです。

でも、こちら21世紀型の「戦火を交えない戦争」には「情報戦」という要素が含まれるということを申し上げました通り、先ほど述べたような軍事的な「侵略」のみならず、「情報」を通して、私たちの倫理観といいますか、そういうものがまるっきり変えられてしまうこともありうるわけです。
決して、「対岸の火事」の問題ではありませんね。

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