・「Whyを5回」
超有名で知っている人が多いにもかかわらず、実際に使っている人が少ないフレームワークです。ほとんどの人が、目に見えている表層的な事象に対して、Why-Why-Whyと深堀りをせずに表層的なアクションを決めてしまっています。コストを削減せよ、と言われたときにオフィスの電気を節電する、とすぐに言ってしまうのがこのパターンです。大抵、目に見えている事象は表層レベルのことです。その段階でアクションを決めてしまっては、表層部分のアクションにしかなりません。深層にまでたどり着いたアクションこそが、最大の成果をもたらします。
なぜ電力は東日本は50Hzで西日本は60Hzなのか?
(→東日本と西日本で別々の会社が電力事業を始めた際、異なる基準を採用した。それが後に統一されたため)なぜオーストラリアの首都はキャンベラなのか?
(→シドニーとメルボルンが首都の座を争い、その結果中間地点にあるキャンベラに首都を置くことになった)これらの質問に対する答えは、見ればなんとなく納得して終わってしまっていますが、実は単なる言葉の置き換えである「言い換え型」であったり、それ以上「なぜ?」の突っ込みようがない「そう定義されているから」といった「起源説明型」であることが非常に多いのです。つまりWhy一回型であり、What型と同じだということです。
逆に言えば、なぜを一回で終わらせずに、これらの例で言えば、なぜ「東日本と西日本で別の会社が事業を始めたのか?」、なぜ「シドニーとメルボルンが争ったのか?」というふうに「なぜ?」をさらに繰り返していくことにより、テーマによっては単なる事実という「点」が、因果関係という「線」になっていく可能性もいくらでもあります。そうすれば、こうした因果関係の「線」というのは、たとえば他の世界でも同様の事例があったときに応用が利くようになるのです。
ここまで読み終えた方は、なぜ「『なぜ』は5回繰り返さなければならないのか?」の意味をおぼろげながら思い浮かべることができるのではないかと思います。Why型思考の世界を本当の意味で堪能するためには扉を何枚も開ける必要があるのです。
皆様こんにちは。ピースです。
GWが過ぎまして、一気に昼は暑さを感じるようになってきましたね。
長い休みに入ったときは、無限の時間があるように感じられても、結構終わってみるとあっという間なものです。
私も、どれだけ時間を有効活用できたかというと…という感じではありますがw
さて、今日も以前やったように、ビジネス書からの引用を通して日本のあるべき姿を本音で考える記事を書いてみることにしました。
冒頭の引用は、1つ目が上のリンク先でも取り上げた木部さんの著書、そして2つ目が題名通り、なぜ(Why)を考えることの大切さを書いた細谷さんの著書ですが、いずれも同じようなことを書いた箇所を取り上げています。
そして、この記事のタイトルということで、何となく言いたいことが分かった方もいらっしゃるかもしれませんね。
「言論の自由」そして「思想・信条の自由」というと、それがきちんと機能していない状態を「言論弾圧」というわけですが、ではここで質問。
皆様が考える、「言論の自由」あるいは「思想・信条の自由」がきちんと機能している、つまり「言論弾圧がない」社会状態とは、どういうものでしょうか?
もちろん、この問いにも皆さんの回答は色々あると思いますし、正解はありません。
ですが、私の回答の一つとして、これらの引用にある、「なぜ(Why)という問いを5回繰り返すことが許されていること」をあげたいと考えます。
それを回答にした理由についてですが、前エントリに続いて憲法の話を取り上げてみましょう。
ただし、今回は(前エントリでは、一般的には一番よく議論されているところだけど私は主従関係で言えば「従」だと考えていると申し上げた)9条を例にした方が分かりやすいので、そちらで考えてみます。
お分かりですね。
これを聞かれたら、もう相手を力で黙らせるしかないのが、サヨク(パヨク)というわけです。
まあでも、こう考えてみると、「5回」は完全に拒絶するとしても、「1回か2回のなぜ(why)」なら許される可能性もある、というのは案外曲者ともとれますよね。
一方で、これは逆の立場からも考える必要がある問題です。
「9条に自衛隊に関する明記は必須だと考えるならば、なぜそう考えるのか?」
と聞かれると、多分一番わかりやすいと思われる回答は、
「誰もが自分の家には鍵をかけるのと同じで、国家の安全だけでなく、平和のためにこそ防衛体制を築くことが必要だ」
ということでしょうし、私も大体はこれを回答しています。
でも、この回答を支持される方へ、
「自分の家には鍵をかけるのと同じというけど、なぜ当たり前にそんなことが言えるのか?確かにごく一部の地域ではあっても、昔の日本には家に鍵をかけずに生活できていた場所もあっただろう?」
あるいは、別の切り口として、
「そもそもから、自宅の話と国家レベルの話を同列にして議論できるのはなぜか?」
と聞かれたら、どう回答しますか?
もちろん、私も最初の質問に対してこの回答をするといった以上、これらの質問に対しても回答を用意しなければいけないのですが、これはやはり一つレベルの高い問題には違いないわけで、説得力のある回答をするには勉強不足だなあと思います。
でも、それはともかくとして、本来であれば、健全な世論っていうのは、こんな風にして「なぜなぜ思考」をしながら、問題を掘り下げる、あるいは議論のレベルを上げていくことで成り立つものだと考えています。
これは特に、Twitterなどで野党批判やっている皆様に多いタイプだという印象を受けますが、左右の立場とか支持するメディアの違いとかは関係なく、くれぐれも「紋切型」は避けるようにしましょうね。
テレビや新聞と言った大マスコミは、この時代遅れなやり方を続けたことで凋落の一途を辿ったわけですから…
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