前回の続きです。
2.歴史学にも存在しうる「コペルニクス的転回」
学術系の道を進まれている方にとっては割と当たり前なことなのかもしれませんが、私が本講演を聴講して確信したことは、これです。
「コペルニクス的転回」については、辞書から。
- カント哲学の立場を示す語。従来、認識は対象に依拠すると考えられていたのに対し、対象の認識は主観の先天的形式によって構成されると論じたカントがこの主客関係の転換をコペルニクスによる天文学説上の転換にたとえて呼んだもの。
- 発想法を根本的に変えることによって、物事の新しい局面が切り開かれることをいう。
皆様もご存知かと思いますが、コペルニクスが「地動説」を提唱したときは、「天動説」を当たり前にしていたそのころの世間には認められなかったわけです。
ですが、現代科学では「地球が太陽の周りを公転している」というのは、もはや当たり前の事象です。
こういった、それまで当たり前だった価値観がまるっきりひっくり返るという「コペルニクス的転回」ですが、私はこれまで自然科学でしか発生しないものだと考えていました(というよりも、「人文・社会分野でもありうるのかもしれないけど、そんな実感がなかった」という方が正しいかもしれませんが)。
今回の内容は、まさに「歴史分野におけるコペルニクス的転回」になりうるものと考えています。
その内容を具体的に言うと「今回のテーマである『日本文明』が、『西洋文明』あるいは『中華文明』と対等な価値をもつものとして認識される」ということですね。
で、これは講座の4.「建国に関する伝承」と「日本文明」にもでてきましたが、国際政治学者のサミュエル・ハンチントン氏が、「日本は日本だけで一つの文明圏である」と公言しているということです。
では、何がこういった、(特に海外の学者には)衝撃的と思われるような考え方の変化の引き金になるのか?
その答えは、「事実の検証の積み重ね」です。
これはもう、前項との関連性をここで述べるまでもなく、お分かりだと思います。
だからこそ、科学の世界では「事実と自分の意見を(できる限り)区別する」ことが重要になるわけです。
もっとも、私がそれをきちんと実践できているかどうかは微妙なのですが…w
(「できる限り」という言葉に括弧を付けているのは、実際には「事実と意見を100%分けることは不可能」だからです。
もしそれが可能なら、例えばあの“DHMO”の話の仕掛けは成立しません。)
3.土木分野との絡みも、そして「神話と地形・地質」
ここまで、「理系」、そして「(年齢的にも職種的にも)比較的『学』の方々に近い者」という私の立場から、本講座の内容に関する考察を述べてきました。
となると、最後は本ブログのタイトルにもある「土木系技術者」として、ということですね。
今年は特に「土木系の話題」カテゴリに数多くのエントリを作成していますが、
実は今回の歴史講座から、「これだけ色々幅広い分野が、『土』と『木』という2文字なのはなぜか?という理由が、(考察として正しいと断言できるかは別として)何となく垣間見えたんです。
「土」に関しては、過去に熊本地震のエントリでも述べたとおり、「この分野に独特な内容が色々含まれているな」という感覚が前からありました(そして、前回予告した「地質学」の話も後述します)。
もう一つの「木」という要素については、講座の中では、1.縄文文化は「世界最高水準」であったの中に出てきます。
縄文時代については、講座の資料によると、教科書が最近書き換えられたところなのだそうです。
具体的には、以前は「自然環境に左右された、貧しくて不安定な生活」と書かれていたのが、現在は「自主的な栽培も行われた、豊かで安定した生活」となっているということです。
(私のころどうだったかは、正直よく覚えていないのですが…)
その書き換えられた理由は、青森県に「三内丸山遺跡」という遺跡が発見されたということです(この辺、興味のある方はご自身で調べられると良いかと思います)。
講座では、この遺跡のところで「クリの木」の話題が出てきます。
ここで私が考えたことが、まさに、「『木』こそ、建物の材料、そして食料の確保という両面から、最も管理が重要な要素の一つ」ということだったんです。
話題は変わって、前エントリで触れることを示唆していた、3.神話の正しさを証明した「地質学的事実」について。
ここは、「神武天皇の実在」の証明に関する話題です。
もう一つ付け加えれば、「地質学」といえば、まさに先ほど述べた「土」ですよね。
私もこれまで、「今年は皇紀2676年」ということを、2つのエントリで書いてきましたが、その根本となる「神武天皇」に関する真偽の検証については、正直あまりよく存じ上げていませんでした。
それが「真」であるという根拠の一つは、大阪にあるということです。
ざっくりいうと、今の大阪は、
河内湾という海(20000年前)
↓
河内潟という干潟(3000-2000年前)
↓
河内湖という湖(湾口が閉ざされる)(1800-1600年前)
↓
平野化、現在に至る
という地形・地質的変化をたどっています。
これと『日本書紀』の記述から、今から3000-2000年前の河内潟のころに、神武天皇の東征が行われたということが言える、ということです。
(その詳細は生憎ながら割愛させていただきますが、ここに絡んだ話で「難波」とか「浪速」という言葉のルーツがあるので、興味のある方は、これも調べてみると面白いかもしれません。)
という、内容に関する感想を述べたうえで、今日はこんな話で締めます。
「神話と地形・地質が絡んだ」話題と言えば、本ブログを読まれている方は記憶の片隅に残っていらっしゃるかもしれませんが…
なんと私は、この歴史講座に参加する3日前(9/15)に、「黒い川」と日本神話なるエントリを、投稿しておりました!
本当に、今回の内容を聴講したときは、びっくり仰天しました。
場所(「大阪」と「出雲」)、神(「天照大神」と「大国主神」)、そして地形(「河川の上流」と「海岸」)という違いはあれど、「神話と地形・地質が絡んだ話」という共通点がある。
それだけでも、なんかこの文章を書いたのと今回の黒田先生の講座に参加したのが、単なる偶然ではなく、「運命の引き合わせ」かもしれないということを感じさせられましたねぇ…
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