【参加報告】黒田裕樹の歴史講座 第59回「東條英機」(1)

皆様こんにちは。ピースです。

昼間は暖かく感じる日も多いですが、東京は昨日今日と雨も降って、寒かったですね。

私は、仕事面では今年度の総仕上げの段階です。
そして、こちらでお話していました基本情報技術者の勉強については、午前は概ねいける見込みがついたのに対して、午後は出来具合が問題ごとに不安定な感じです。
あと3週間を切りましたので、問題数をこなして「やるべきことはやった」と言える状態まで持って行かねば、というところでしょうか。

さて、本題です。
今回は報告が大変遅くなって、改めて申し訳ありませんm(__)m
前エントリで申し上げたとおり、2週間前の日曜(3/12)には、黒田裕樹先生の歴史講座に参加して参りました。

今回の「東條英機」は8周年記念講演でしたが、私がこの歴史講座に初めて参加した昨年の7周年記念のテーマが「昭和天皇」だったので、重なる部分もありながら、年代を絞って、なおかつ違う視点から見るということで、なかなか面白い内容でした。

実は、前回の「日本と韓国のほんとうの歴史」も、凄く物議を醸した講演だったということをお話していたのですが、今回の講座もまた似たようなエピソードがあったようです。
というのも、黒田先生は今回と同じ内容の講座を、以前、尼崎でやっていたらしいです。
そして、その時にも聴衆の方々から、貴重なお声を頂いた(お分かりかもしれませんが、「貴重な」というのは半分皮肉ですw)ということでした。

さて、今回はまた、いつも通りに章立てから見てみます。

  1. 「軍人」東條英機が政治の舞台に登場するまで
  2. 日米開戦を導いた「アメリカの思惑」
  3. コミンテルンの謀略と東條首相の苦悩
  4. 大東亜戦争は「無謀な戦争」だったのか
  5. 東條英機元首相の遺書

ここでは、主に2.以降について取り上げてみたいと思います。
2分割ということで、本エントリでは2.日米開戦を導いた「アメリカの思惑」3.コミンテルンの謀略と東條首相の苦悩の前半部分から。

実は、2.については、今回の表題でもある「東條英機」の名前が出てくるのは、一番最後に、1941年の10月18日に東條英機内閣が誕生したということが書かれている、その1箇所だけです。
にもかかわらず、ここにレジュメの3ページ程度が割かれている理由は、同歴史講座の2つ前の回の報告でも述べました、

歴史上の出来事に関しては、その流れや因果関係を把握することが重要である

という、まさにそれです。
で、今回はそれに新たな私の考えを付加する形で、この部分の感想を述べてみたいと思います。
ここで、講座のレジュメ本文からの引用。

アメリカによって昭和15(1940)年に日米通商航海条約を廃棄させられた我が国は、物資や石油などの重要な資源の不足に悩まされたことで、蘭印(=オランダ領東インド、現在のインドネシア)に対して戦略物資の輸入交渉を続けましたが、先述の通り、アメリカやイギリスとつながっていたオランダによって、交渉は暗礁に乗り上げました。

このため、我が国はフランスに対し、植民地である仏印(=フランス領インドシナ、現在のベトナム・ラオス・カンボジアに相当)の南部に日本軍を進駐させるよう交渉を続けました。

南部仏印を含む南洋ルートは、ゴムや錫(すず)などの天然資源が豊富であり、コメの生産も盛んでした。我が国にとって南部仏印が英米に占領される前に自国の軍隊を進駐させ、ゴムやコメの供給地を確保するという手段は、当時の国際通念上に照らしても当然の自衛行為でした。

フランスとの交渉が合意したことで、我が国は第三次近衛内閣が誕生した直後の昭和16(1941)年7月28日に南部仏印進駐を開始しましたが、日本軍の進駐で自国の植民地支配に危機が生じると判断したアメリカは、わが国の南部仏印進駐を非難したばかりか、直後の8月1日に、在米日本人の資産凍結や石油を含む主要物資の対日輸出全面禁止などという措置を取りました。

言うまでもないことですが、20世紀の国家が石油なくして存在できるはずがありません。それなのに石油を我が国に一滴たりとも「売らない」というアメリカの行為は、我が国に「死ね」と言っているに等しい暴挙でした。

なお、1928(昭和3)年にパリ不戦条約が結ばれた際、条約批准の是非をめぐってアメリカ上院議会で討議が行われた際に、当時のケロッグ国務長官が、「経済封鎖は戦争行為そのものである」と断言しています。彼の言葉を借りれば、アメリカによる石油禁輸こそが我が国に対する先制攻撃だとは言えないでしょうか。

石油禁輸で追い詰められた我が国は、昭和16(1941)年9月6日に昭和天皇ご臨席のもとで御前会議を開いて帝国国策遂行要領を決定し、対米交渉がまとまらなかった場合には、10月下旬を目安として、アジアに植民地を持つアメリカやイギリス・オランダに対する開戦方針が定められました。

また、3.の最初の一文も取り上げてみます。

ところで、これまでに述べた歴史の流れを振り返れば「アメリカが我が国を大東亜戦争に追い込んだ」という見方も成立しそうですが、これは「日本が一方的に侵略した」という「自虐史観」と表裏一体をなすものでしかありません。

いかがでしょうか?

「石油を我が国に一滴たりとも「売らない」というアメリカの行為は、我が国に「死ね」と言っているに等しい暴挙でした。 」という一文に関しては、まさにこちらで話題にしたことを意識しているだろうな、というのはお判りでしょう。
そして実際、黒田先生もそのことに言及していたのですが、今回の話の本質とは関係ないので、これ以上は申し上げないことにします。

さて、この引用箇所あたりのお話をされていた時に、黒田先生は、

「歴史は繰り返す(英語では”History repeats itself.”ですね)という言葉があるのは、人々が歴史に学ばないからだ」

ということを仰っていました。
私も、上でリンクを貼った2回前の院政~武家政権の興りの時代の講演の報告をした時に、
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
という言葉を引きましたが、今回新たに思ったのは、

この「歴史に学ぶ」を実践するためには、様々な知識を俯瞰し、リンクさせることが大事になる

ということです。

このときに、黒田先生は「日本史だけでなく、世界史の知識も重要」という言い方をされましたが、私はそれだけにもとどまらないと思います。
「歴史」という科目で学ぶのは主に「政治史」と「文化史」ですから、政治経済、そして文学や哲学は言わずもがなです。
そして、今回の引用箇所には資源とかコメの話もありますから、これは科目でいうと地理にあたる内容ですよね。

さらに、文系科目だけにもとどまらず、その時代を生きた人々の生活、あるいは政治的判断の合理性を検証するためには、自然科学、つまり理系的な知識も必要になりますね(これは「日本文明の誕生」回の内容をご覧いただけると、よりイメージしやすいかと思います)。

今回はまだ東條内閣の話に入る前、当時の戦争までの時代背景の部分に焦点を当てましたが、次回はこの東條内閣をめぐる大東亜戦争(太平洋戦争)の中の政治史について触れてみますね。

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