産経新聞より、和辻哲郎の著書『風土』に関するお話を少しばかり

皆様こんにちは。ピースです。

本日で、東日本大震災から6年になりました。
本ブログでは、昨年は、月刊ウィルから京大の藤井聡教授、そして大石久和先生の対談を引用し、2エントリに分けて文章を起こしました

さあ、今年はどうしようか?と考えていたときに、ちょうどいい材料を見つけました。
以下は、一昨日(3/9)の、産経新聞1面及び3面「平成30年史 第3部 大震災の時代 4からの引用です。


津波を経て 心は変わったか

哲学者、和辻哲郎(1889~1960年)は、著書『風土』で日本人の自然観を論じている。
<<モンスーンのもたらす湿潤は人間に自然への対抗を呼び覚まさせない。理由の一つは湿潤は人間に自然の恵みを与えるからだ。もう一つは湿潤は自然の暴威を意味する。それは人間に対抗を断念させるほど巨大な力で、人間をただ忍従的にする。>>
人間に恩恵を提供する一方、時に牙をむく自然を受け入れる。
和辻の考察は日本人の一般的な感覚にしっくりくる。自然を支配の対象と見ている西洋人と違い、日本人は自然と共生する精神性を持っていると多くの人が考えている。
かつて日本人は自然が暴虐の限りを尽くしてもひたすら耐え、それが過ぎ去ったら気を取り直して同じ場所に住居を再建した。
「天や運命にはかなわないと諦め、今を生きる原動力に換える明るい諦観が日本人にはあった」
国学院大の石井研士教授(宗教学)が解説する。
「現代人は思い出を物に求める」
石井教授は言う。
「以前の日本人は思い出を記憶に残した。旅先の景色も目に焼き付けた。今はカメラがあり、思い出は写真に残す。現代人にとって家は思い出の宝庫。震災で跡形もなくなった家で思い出の品を必死に探す被災者の姿が物語っている」
昔の日本人も好き好んで自然の暴走を受け入れたわけではない。防災の技術がなく、指をくわえて見ているしかなかったのだ。そんな日本人像を「風流だ」と訳知り顔でいう人がいるが、家を壊され、収穫期の稲を台無しにされた当事者はたまったものではない。
防潮堤。宅地のかさ上げ。現代人は災害に対抗する技術を得た。文明の進化に伴い、日本人も西洋人のように自然をコントロールしたい欲求に傾いた。
価値観の変容と物質的欲求の高まりで日本人の自然観は別物になった。震災で変化したのではない。とうに姿を変えていたのだ。震災はそれを顕在化させたにすぎない。

(途中には閖上地区の復興計画に関する話が含まれているのですが、そこは省略しています。)
この和辻哲郎の『風土』という著書、皆様の中で「読んだことがある」という方はいらっしゃるでしょうか?
大変お恥ずかしい限りですが、実はですね、

私は、学生の頃は未読でした^^;;

ある時ふと、この本は読んでおかないと、
「お前はそれでも、『土木系技術者』をアピールして、しかもブログでこういう考え方を示している人間なのか!?」
というお叱りの声を受けても当然だと思った
んですよ。

というわけで、社会人になってから、はじめて読んだんです。
ただ、はっきり言って、内容はかなり難解ですし、私自身も全て理解できたわけではありません。
ということで、この本について、例えば前回お話した「読書ログ」にレビューを書くというレベルになるには、もっと幅広い知識を身につけ、そのうえで、その思想と自分の考え方をしっかり温める必要がありそうです。
さすがに、「高校倫理の教科書にも出てくる本」というだけのことはありますね。

さて、引用元の産経の記事にも少し書いていますが、この本の中で定義されている、日本が属する気候区分が「モンスーン」、そしてその性質を捉えるためのキーワードが、「受容」と「忍従」です。

私自身は、昨年の記事の2つ目で、
今年は皇紀2676年です。
ご存じない方が聞けば、「西暦に660を足すと皇紀になる」というだけでも、「ええっ!?」って思われることでしょう。

この締めを読んで思わされたことは、
確かに、これだけの間、日本という国の形が受け継がれてきたことだけでもすごいんですよ。
でも、
国土の条件だけでいえば、それは決して有利ではない、というかむしろ不利な条件下にある中でのことだったと考えれば、もはや本当に奇跡というレベルなんでしょうね。
と書きました(久野先生の勉強会の記事へのリンクは、今回新たに追加)。
また、地震のことに言及されたお話として、原始仏教のスマナサーラ長老が書いた本からの引用をしたこともありました(色々と細かい違いはありますが、インドやスリランカも「モンスーン気候」に分類される点は日本と同じですね)。
そして今回、この産経からの引用です。

ということで、改めて、(戦後教育の問題とかそういうことはまた別としても)今こそ「日本人の自然観」を見直す必要がありそうだということは、これらの内容だけでも容易に考えられることですね。

特に私自身が「土木系技術者」ということで…
「技術」というと、その大本にあるのはまさに、高校レベルで言うなら数学・理科という理系科目にあたる、「自然科学」です。
その中で、土木分野の人間として、「防災」、そしてもう一つ「環境」という言葉をキーワードにして、実務に携わりながらこのブログを書いています。
そして、ちょうど1年前の記事を書いたときと比較すると、私の頭の中でも、このブログで起こした色々な論題がつながってきているような気がします。
今後もまた、様々な経験・見聞を通して、この「日本人の自然観」に関する具体的な話をしていきたいですね。

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追記:
「歴史学」もそうかもしれませんが、「哲学」や「倫理学」、あるいは引用元の記事に乗っている石井教授が専門としている「宗教学」と言うのも、「ぱっと見では役に立たない(けど、人文科学の一分野として確立されているべきであることには間違いない)」学問といえるでしょう。

それで、「黒田裕樹の歴史講座」に初回参加したときのエントリで、「私の高校では、公民科は文理選択の前まで…」とありましたが、実は、その中で倫理が必修科目になっていました。
当時は「自分はセンター試験でも使わないのに、こんな科目を勉強して何の役に立つんだ?」と思ったこともありましたが、今改めて見直すと、こういうときの話の種に出来たというだけでも、凄く大きかったなあと考えています。
土木学会日本技術士会も、学協会として「倫理規定」に力を入れていることを特にアピールしている組織ですし。

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