「物への執着から離れ、心を鍛錬することの大切さ」ー初期仏教長老の教えから

とかく、人は「何かがあるから安心だ」という考えにとらわれがちです。
しかし、どんなに豊かな財産を築いても、それが永遠に残ることはありません。そして、大きな自然災害が襲ってきたら、いとも簡単に壊れてしまうのですよ。
そもそも、私たちは自然を管理することなどできません。自然の猛威にさらされたら、家や財産が奪われるのも仕方がないことです。
もし壊れてしまったら、またつくればいい。ただそれだけのことです。
そのときに大事なのは、精神が一緒に壊れてしまわないことです。
地震や津波でものが壊れてしまったからといって、心まで壊されてはいけないのです。
私たちは自分の心しか管理しようがないのです。
だからこそ、心を管理する。
管理・制御のきかないもの(自分の外側にある仕事や他人、自然、病気など)に目を向けるのではなく、管理可能な自分の精神に目を向けて、鍛錬してください。
私たちが豊かに生きていくうえで、それが最も合理的な方法なのですから。

2日連続の更新、本ブログでは珍しいですね。
まあ、本当は前エントリのフォーラムの参加報告をもう少し早くやりたかったのですが、何やかやで参加から5日ほど経ってしまいましたものでw

今日の冒頭の引用ですが、まずは著者についてのお話から。

著者のアルボムッレ・スマナサーラさんは、スリランカ上座仏教の長老です。
仏教というと、日本では葬式仏教だとか、極楽浄土とかの(「生」に対する)「死」に着目した教えという印象を抱かれると思います。
(というか、大乗仏教が全体的にそうなのでしょうかね?お詳しい方いましたら、ぜひ教えてください。)
が、スマナサーラ長老の著書(私はこの本以外にももう1冊読みました。)を読んでみると、彼は「お釈迦様の教えは『与えられた生をいかにして全うするか』というところに主眼が置かれている」という立場で、その思想を伝えているようです。
私が読んだ2冊については、ここ以外にも結構気づきのある箇所が多かったので、うまく文章として整理できそうだったら、また記事を書くと思います。

さて、引用箇所のお話へ移りますが、2つの視点からこの文章をとらえてみたいと思います。

1つ目。
近年の日本については、「物で栄えて心が滅ぶ」という言い方が、本当にあちこちでなされていますよね。
「和の心」という鍵括弧つきのブログタイトルの通り、「心」を大事にするというのは、私にとってはこのブログの主題の1つです。
また、おそらくですが、拙ブログの読者についても、「心」を重要視される方がほとんどであろうとみています。

では、そんな皆様方に質問。
皆様方にとって、ご自身の心(精神)を管理し、鍛錬する具体的な方法は何でしょうか?

これについては、もちろん「万人に通ずる正解」はありません。
ただ、「自分にとっての回答」であっても、即答できる方はほんの一握りではないかと思います。
そして、私もこの質問をされたら、答えにはかなり窮しますね。

私自身は社会人になってから、このスマナサーラ長老の本も含めて、「自己啓発本」と言われる中でも、仕事に関する実践的なものよりも、どちらかというと心理や哲学の色が強い本をよく読むようになりました。
また、最近はある精神療法の理論の応用を学び、活用するという主旨の勉強会にもよく参加しています(これについても、また機会があれば記事にするかもしれません)。

ですが、そういう事っていくら勉強しても、自分で実行できるようになり、そして習慣として根付かせないことには、意味がないんですよね。
心の鍛錬というのは、(体もそうですが、それ以上に)数日程度で効果が表れるものではなく、数ヶ月、数年という粘り強い努力と辛抱が必要です。
それだけに、具体的な方法を確立し、それを実践できていらっしゃる方は、大変尊敬に値すると考えます。

2つ目。
引用元の文章で、「地震や津波でものが壊れてしまったからといって、心まで壊されてはいけないのです。 」という一文が、太字で強調されています(これは原文そのまま)。

また昨日投稿した前エントリでは、その「ソフト対策」の一例ともいえる、義務教育を中心としての防災教育の実践例を取り上げたフォーラムへの参加報告を行いました

で、まさに「ハード対策」というのが「物的な管理と強化」ということであるとすれば、
「その対概念となる『ソフト対策』の究極の形とは、まさにここでいう『心の管理と鍛錬』ではないか」
ということを、ふと考えたんです。
そして、この「管理と鍛錬」という引用元の言葉を本ブログ的キーワードで言い換えれば、まさに「強靭化」ですよ。

実際、熊本地震の話題として書いた文章にも、
「いつか壊れる」というのは当然で、想定を超える外力によって「経済的な被害」が生じるのはやむを得ない部分もあります。
しかしながら、「人的被害」だけは、極力最小限に抑えないといけないのは、ヒューマニズムという観点からも当然ですね。
と書きました。
この「人的被害」とは、確かに、人命についてもそうです。
しかし、命が残っても、その生き残った人間の心が壊れてしまっては意味がないですし、それも人的被害の別の形といえるんですよね。

そして、東日本大震災も今年の熊本地震も、現地の「大災害で所有物は壊れてしまっても、壊れなかった強靭な心を持つ」方々によって、復興への道を歩んでいる、ということなのでしょう。

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