『月刊Hanada』10月号 今こそ「新日本列島改造論」より(2)

前回は、大石先生の記事の全体的な印象と、冒頭部分の引用とそれに対する個人的見解をまとめました。
今回は、その続き、いよいよ本論部分からの引用です。
「図表を効果的に利用して、『数字』を可視化している」ということも述べていましたので、図表の引用も交えて。


台風の常襲地帯で梅雨末期に集中的な豪雨を経験する我が国の治水状況はどうだろうか。表2は、諸外国の主要河川の治水安全度を見たものである。イギリスのテムズ川では1000年に1度の洪水に対して概ね整備ができているというのに、関東の荒川では200年に1度に対して67%程度しか備えができていないことがわかる。
2015年の鬼怒川堤防が切れた洪水も、50年に1度程度の雨によるものだったといわれる。改修が計画されていた箇所だったようだが、公共事業の極端な削減が行われていなければ、破堤もせず、人命も財産も損傷を免れたのにと考えると残念なことであった。(原文は漢数字)
図1 (2).jpg
確かに、実際問題としては、日本が欧米と同様に500年から数千年に1度規模の災害レベルを考えて整備計画を立てるというのは、無理がある話であることには違いないでしょう。
なぜなら、こちらで述べたように、日本の地形は狭い国土に対して起伏が凄く大きいのが特色だからです。

ただ私は、今こそ国家レベルで「どこにお金を使うか」ということに対して、抜本的な見直しが必要であることには違いないと考えています。

その理由についてですが、ここでは「人命も財産も損傷を免れたのに」という箇所を強調しました。
「いつか壊れる」というのは当然で、想定を超える外力によって「経済的な被害」が生じるのはやむを得ない部分もあります。
しかしながら、「人的被害」だけは、極力最小限に抑えないといけないのは、ヒューマニズムという観点からも当然ですね。
と書いていました。

でも、これを逆に言うと、「ソフト対策だけで人命に加えて財産も守り切る」というのは土台無理な話なんですよ。
一方の「ハード対策」は、確かに人命も財産も守れる手段ではあるけれども、当然ながらヒト・モノ・カネすべてにおいてのコストが大きい。

というわけで、前回述べた「両者の相補的関係」を生かすことも念頭に置いたうえで、「国家レベルでのお金の使い方」を国民各々が知り、考える必要があるという結論に至ります。

公的固定資本形成費はGDPの重要な構成要素であるから、これが減少すると経済は縮小し、その結果、税収は必ず少なくなる。こうして図2に世界の経済成長を名目GDPの推移として示すように、(日本は)世界の中で一人負けの様相を呈しているのだ。
このような結果を生んだのは、一つには1995年の「財政危機宣言」以来、政府の支出とは国民への支払いであるのにそれを忘れて、とにかく削減第一と歳出カットをやってきたことが大きな原因だった。
将来の人たちへの贈り物という要素が大きいインフラ整備は、将来世代が選挙権を持たないこともあって真っ先に削減対象となり、劣悪なインフラ環境が遅々として改善されてこなかったのである。

図2.jpg

二段落目までに関しては、上記の「国家レベルでのお金の使い方」を間違った、あるいは国民がその間違った政策を黙認してきたという問題が具体的に書かれています。
もう少し掘り下げてみれば、「同じ『国の借金』でも、『外国から』の借金と『国民から』の借金では本質的に意味が違うということ」、そして「日本には『円』という自国立ての通貨があるということ」などを無視して「財政危機」を煽った連中と、それを鵜呑みにしてしまった一般国民という構図も見えてくるかと思います。
ただ、私も経済政策に関してはまだ十分論じきれるレベルにないと自分では感じているので、このあたりにしておきます。

問題は、三段落目。
私は今年の参院選の直前に、18歳選挙権のことを2部構成で記事にしました

で、引用元に「将来世代」という言葉が出てきていますが、大石先生の書いている「将来世代」は、選挙権を持っていない世代を想定しているわけです。
ということで、ここで重要になるのは、その親の世代です。
18歳未満の子供をお持ちの親というと、多少子供が遅生まれで50代(ちなみに、私自身が割とそんな感じの遅生まれです)。
もちろん、新生児の親ということなら、30代、20代だって考えられますよね。

20代~30代はもうネット世代ですから、1つ目の記事に書いた「一次ソースに強い」という条件は十分満たしているとみていいでしょう。
一方、今の選挙権保有人口を考えれば、50代でも(若くはないとしても)決して年長者ということもないと思います。
日本の問題の本質を考え、それを提言するには決して遅くない年齢です。
(まあ、「それはおじいちゃん・おばあちゃん世代でも一緒なのでは?」と言われると、この論は弱いのですが…)

そして、これは2つ目の記事に書いた「現代の日本は(納税額が選挙権の条件にあった)当時より、良くも悪くも自己責任の社会になった」ということともつながります。
ただし、もちろん選挙権をまだ持っていないこの「将来世代」には、自己責任を求めることはできません。
従って、その親の世代が、どういう政策を望むのか、そして概略的情勢を把握して、「望まれた政策」に足りないものは何かを検証し、道を選択することが必要になるわけです。
うーん、当初は今回までで書ききれるかと思いましたが、元記事には私が重要と考える情報がまだこの後にもあります。
ですので、もう1エントリだけ、この大石先生の記事の内容を続けさせていただきますね。

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