【参加報告】R020809_黒田裕樹の東京歴史塾 「明治時代⑦」 (2)

土木技術者は、土木が有する社会および自然との深遠な関わりを認識し、品位と名誉を重んじ、技術の進歩ならびに知の深化および総合化に努め、国民および国家の安寧と繁栄、人類の福利とその持続的発展に、知徳をもって貢献する。
(土木学会「土木技術者の倫理規定 倫理綱領」より)

皆様お疲れ様です。ピースです。

もう9月も下旬になりましたね。
徐々に涼しくなってくる一方、今年はコロナの再流行も心配になる季節です。
体調にはくれぐれも気をつけて過ごしましょう。

そして、安倍前首相が退陣され、新たに菅内閣が誕生しました。
もちろん政策に関するチェックも必要ですが、他方で時の政権に関係なく、国益・公益の観点から学び、考え、情報発信することも大事ですね。

さて、本題は黒田裕樹先生の東京歴史塾の話題の続きですが、

【参加報告】R020809_黒田裕樹の東京歴史塾 「明治時代⑦」 (1)


冒頭の土木学会の倫理規定からの引用については、後ほどとしまして、
前回申し上げていたとおり、「28.社会運動の発生」について、レジュメから引用です。

銅の生産の増加は大量の鉱毒の発生を必然的にもたらし、流れ出た鉱毒が渡良瀬川を汚染して、付近の農業や漁業に深刻な被害を与えるようになりました。いわゆる「足尾鉱毒事件」のことです。

足尾鉱毒事件は当時の大きな社会問題となり、地元の衆議院議員の田中正造が帝国議会で取り上げたことで政治問題に発展しました。議会において、
田中は毎回のように政府に鉱毒事件への善処と被害者の救済を主張し続けました。

しかし、政府は対応に苦慮することになりました。田中の主張どおりに銅山での採掘を停止すれば、貴重な輸出品が失われるだけでなく、国内の生産力も低下し、全国の商工業における深刻な影響が避けられないからです。まさに、「あちらを立てればこちらが立たず」の状態となった政府は、結局、銅山での操業をやめさせることができませんでした。

やがて鉱毒事件が全国に知られるようになると、自身の行動が「選挙対策」と思われることを慮った田中は議員を辞職して問題に取り組み続け、明治34(1901)年の帝国議会開院式当日に明治天皇に直訴しましたが、失敗に終わりました。

しかし、田中の直訴によって世論が一気に盛り上がったこともあり、政府は操業を続行する代わりに、付近の谷中村(やなかむら)に巨大な遊水地をつくって渡良瀬川の洪水対策を行うことにしましたが、工事によって谷中村は水没して廃村となってしまうため、田中は谷中村に残って最後まで反対し続けました。

足尾鉱毒事件はわが国初期の公害問題とされていますが、当時はそこまでの観念を政府も国民も持っておらず、また国家の繁栄との両立を図らねばならないという難しい命題がありました。

最終的には農村の犠牲という厳しい結果になりましたが、公害対策が当然とされる現代からの視点のみで断罪するだけでは、この事件の真実は見えてこないのではないでしょうか。

ここからはまた、要約引用としますが、
・労働運動や組合の結成、それに対する第二次山県有朋内閣の治安警察法の制定
・日本社会党の結成と社会主義運動、赤旗事件
・幸徳秋水らによる明治天皇暗殺計画とそれに対する検挙(大逆事件)
というところが、重点的に取り上げられています。
そして、動きを経て、「工場法」という法律が制定されたのですが、ここはまた全文引用。

自らの思想の達成のためには、「天皇暗殺」すら何のためらいもなく実行しようという考えから起きた大逆事件は、当時のわが国や政府に激しい衝撃を与えましたが、そもそも社会主義運動がこれだけ大きな騒ぎを引き起こした背景には、過酷な労働条件に苦しむ当時の賃金労働者たちの「声なき声」がありました。

そう判断した政府は、大逆事件の判決が出た年と同じ明治44(1911)年に工場法を制定し、12歳未満の雇用の禁止や、労働時間12時間あるいは月2回の休日などを定めました。

しかし、15人未満の工場は適用外とされるなどの不備があったほか、使用者たる資本家の反対を受けて、工場法の実施が大正5(1916)年まで待たなければならなかったなど、労働者の保護は不十分なものでした。

いかがでしょうかね。
これで、私が今回の冒頭に、土木学会の倫理規定の一文を持ってきた理由がお分かりかと思います。
この明治時代の経済史上の動きにこそ、

「国民および国家の安寧と繁栄、人類の福利とその持続的発展」とは、一体何だろうか??

ということを考えるにあたって、外せない内容が多々含まれていると言えますよね。

もちろん、「技術発展」という要素も、人々がより豊かに生きるために欠かせないものの1つです。
他方で、「環境問題」(ここでは気候変動のような「地球環境」だけでなく、足尾鉱毒事件のような公害問題に対応する「地域環境」あるいは「生活環境」、そして工場法に対応して、いまの働き方を考えるにあたって欠かせない、「労働環境」も含めて)という要素も、今でこそ長期的な視点で考えるのが当たり前という時代になっていますが、これはレジュメからの引用にもあった通り、当時の価値観においては見落とされていたわけです。

そして、渡良瀬遊水地というと、もともとはここに書かれている通り銅の洪水調節と同時に鉱毒の処理という目的も当初は含められていたようですが、皆様もご承知の通り、現在はもっぱら治水施設となっている、ハート形で有名な遊水地です。
そして、去年の台風19号でも2.5億m3という洪水貯水能力を発揮しました。
こんな感じで、今後はこれに、「防災」という要素も加わるということが言えますね。

そんな感じで、よく言われる通り「当時の問題を今の価値観だけで断罪することはできない」わけですし、私自身も今でもなお技術的にも難しい問題の解決に当たっているわけですが、こういうところでこそ、今回も常々申し上げている「歴史を学ぶ」だけでなく、「歴史に学ぶ」ことの大切さを、より感じさせられる内容でした。

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