皆様こんにちは。ピースです。
少しばかり発熱を患ってしまいました。
何とか、会社は半日しか休まずに済んだのが不幸中の幸いでしたが…
風邪が流行っているのは相変わらずなので、この前置きでは何度でも申し上げますが、皆様も体調にはお気をつけて…
本題は、2週連続の活動報告です。
去る1/29は、「第60回東京れきべん」に参加してきました!
本ブログでは今までも数々の勉強会の報告を上げてきましたが、この「東京れきべん」講師の久野潤先生、本職は大学講師ということです。
そして、久野先生もまた、日本のこれまでをどう伝え、そして日本という国がこれからどうあるべきかということをを考え、啓蒙する活動を多方面で行っていらっしゃる方です。
そして、久野先生もまた、日本のこれまでをどう伝え、そして日本という国がこれからどうあるべきかということをを考え、啓蒙する活動を多方面で行っていらっしゃる方です。
さて、私が東京れきべんを知ったきっかけは、Facebookの「大津れきべん」のページを(多分、FB上のお友達の方がフォローしていたので)たまたま見かけたことでした。
それで、色々掘り下げてみると、日本全国を回って勉強会をされていることを知り、そしてその時から東京で参加できる機会を窺っていた、ということです。
この「初代神武天皇と建国の精神」というテーマは、2/11を前にした講座ということで、参加者のお一人(ちなみにこの方は、黒田裕樹先生の歴史講座にもいらっしゃっている方です)からのリクエストがあって、決定されたそうです。
こちらの勉強会についても、講演そのもののレジュメは配布されていないので、当日のメモから大まかな内容を箇条書きにしてみます。
- 日本の歴史教科書には、「誰が建国者か?」(例:アメリカはワシントン、韓国は李承晩、中国は毛沢東)が載っていない。
これは世界を見てもおそらく我が国だけと思われる。 - 日本の統治者は?⇒天皇陛下
行政のトップはもちろん「総理大臣」(本記事の投稿日現在は安倍晋三首相)だけど、その総理大臣は「天皇の任命」によるもの - 今上陛下が125代目の天皇にあたるが、日本の建国者は当然、その初代である神武天皇
ただし、神武天皇に関しては、事実や一次史料の裏付けによるものではなく、「古事記」「日本書紀」に依拠した根拠である。 - 神話とは?⇒神秘的なものにして、私達の「精神性」を写す鏡
- 日本の神話を研究し、後の世代に遺した人物の一例が、「国学四大人」と言われる、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、そして平田篤胤。
彼らはそれぞれ祀られている神社がある。
このうち、久野先生が最近初めて行った「本居宣長ノ宮」は松阪にあるが、この松阪は当時の国学の拠点ともいえる場所 - そうやって、「先人の方々が日本をまもって下さった」と考えるが、では「国家をまもる」とはどういうことか?
⇒「国家の三要素」(領土・国民・主権)に加えて「国のかたち」をまもること。 - その「国のかたち」を現す要素として、「国としてのお祝い」を行う日こそが「祝日」である。
なので、本来は「休みを取る」ということを考えてずらすべきもの(ハッピーマンデー)ではないが… - もちろん、日本の「国としてのお祝い」には、すべて天皇がかかわっているものである。
現在、これに直接関係しない祝日は、「山の日」・「敬老の日」(・昭和の日制定に伴い5/4に変更された「みどりの日」)のみ。 - そのなかでも主要なものが「四大節」
元日(四方節)・建国記念の日(紀元節)・天皇誕生日(天長節)・文化の日(明治節) - この中でも、本来の「国」が始まった日は元日であるが、現在建国記念の日となっている2/11は、神武元(B.C.660)年の1/1にあたる日を新暦に直した日付である。
- 以上の内容を受けて、神武天皇の生まれ(庚午の年)と、神武東征における日向~橿原の道のり、そして即位に至るまでを解説する。
最後の神武東征の話は私自身も十分飲み込めていない部分があるので、今回は内容を割愛いたしましたが、「一つの事象を違う切り口からとらえる」という点で、非常に面白い内容でした。
今年は皇紀2677年です。
こちらのページに載っている年表、このブログをお読みの皆様方も「どこかで見た」という方は多いと思います。
それに関して、先ほど、中国の建国者を毛沢東と書きましたが、「中華人民共和国(People’s Republic of China)」の成立は1949年です。
国としては約70年ということになりますが、では、一般的に言われる「中国4000年の歴史」とはどこから来たのか?
これは、孫文が「中華民国(Republic of China)」、つまりは共産党に敗れて、台湾に移って現在に至る国民党による国家を建国したときの宣言の中にあるもののようです。
(この辺、表現が不正確かもしれません。適切な表現ができる方がいらっしゃれば、ここでも転載先の各SNSでも良いので、コメントお願いいたします。)
例えば、歴史に詳しくない方でも一番わかりやすい所で言うと、元寇の「元」はモンゴル人の国家ですね。
そして、民族以外にもいろいろな要素を合わせてみても、先ほど述べたいわゆる「二つの中国」の間にすら、「国のかたち」として満たされるべき連続性は満たしていない、というわけです。
では、その「満たすべき連続性」とは何か、そして日本の「2677年」はなぜそれを満たしていると言えるのか?
が問題なわけですが、これについては私も半可通なところが多いので、これからまた勉強していきたいですね(ただ多分、これもうまく解説されている方はすでに多数いらっしゃると思います)。
それとは別に、私がこの内容をまとめているときにふっと思いついたこと。
「国家観」と「世界観」をどう考えるかというときに、現在の一般的な考え方は、
「国家観」は「世界観」の中にあるもの
であることは、誰しも異論はないでしょう。
ですが、これ、考え方によっては逆、すなわち
「国家観」こそが「世界観」を内包している
ということが言えるのではないでしょうか。
まあ、哲学やら倫理学の領域にまで足を突っ込むつもりはないので、これ以上深くは掘り下げませんw
ただ、これまで私のブログで取り上げてきた中でも、こう考えると説明がつく事象はあるんですよ。
「この学習会は『防災まちづくり・くにづくり』のあり方を考えているけど、『まちづくり』に関しては容易にイメージできても、『くにづくり』という視点を持っている方は非常に少ないと思う。だけど、一方では『グローバル』とかいうと日本人は割りと簡単に飛びつくし、難しいながらも考えてみようという気になるようだ」
これを、一般的な考え方をもとにするならば、「『まち』から『くに』というレベルをすっ飛ばして『グローバル』に目が行っているのは不思議だ」、ということですが、
この考え方で行けば「世界観よりも国家観の方が、高次元というか、抽象的というか、そういう領域にあるからこそ、『くにづくり』という視点はよりレベルが高い」という解釈ができますよね。
もう一つ、同じエントリ内に、先日大統領に就任したトランプ氏のことをちらっと書き、その少し後で
世界が「グローバル」という視点を重視する方向に行くのは、乗り物の技術が発達して時間距離が短くなったことなどいくつかの要因から考えて、良し悪しは別として、自然なことであるには違いない。むしろその「自然なこと」を認めたうえで、グローバルの時代だからこそ自分の国・地域を歴史や文化を通して学び、そこに帰属する各人がどうやってそれらを管理していくかを考える方向に導くべきである。
この内容も、まさに「国家観」が「世界観」を内包するということを暗示したものと解釈できます。
(もちろん、これに関しては「排斥」が正しい方法では絶対にありませんし、その一方で、トランプ大統領の政策がその「排斥」にあたるのかは、これまた賛否両論なんてものではない多様な意見があるという複雑な状況ですが、まあ、それはそれとして。)
こんな感じで、「自分の国の根幹にあるもの」を学ぶことで、色々なものが見えてくるということを感じた講座でした。
こちらもまた、機会があれば続けて参加したいですね。
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