高校受験や大学受験、あるいは中間テスト、期末テストなど、学生の時に受ける試験というのは、記憶力を頼りに、すべて自分の力で解かなくてはいけません。試験中に教科書や資料を見てしまったら、それは「カンニング」ということで、厳しく罰せられます。しかし、社会人になると、本や資料を一切見てはいけない、完全に自分の記憶だけで解決しないといけない場面というのは極めて少なくなります。社会人でも、昇進試験や資格試験などを受験する人もいるでしょうが、日常的な業務においては、何を調べても、何を見てもいい。いわば、「カンニング自由」が社会人のルールです。学生の頃は、「カンニングしたい!」という衝動にとらわれたのに、社会人になったとたん、それを忘れてしまいます。「なんで業務マニュアル読んでないんだ!」「こんな基本的なこと、本で調べておけよ!」「昨日配った資料、全然読んでないじゃないか!」「わからなければ、まずGoogleで検索しろよ!」と、マニュアル、本や資料、ウェブサイトなどに目を通していないせいで、こっぴどく叱られたという経験は、誰でもあると思います。—社会人は、「カンニング自由」!この素晴らしい特権を、私たちはもっと活かすべきではないでしょうか。
皆様こんにちは。
早く更新したいと思っていましたが、仕事他いろいろの事情で、あいにく中5日経ってしまいました。
今日は、前回の竜王戦カンニング疑惑についての続きなのですが、冒頭は以前にも別の本から引用した、精神科医の樺沢紫苑さんの本からの引用です。
新入社員研修、社会人1年目の最初の週あるいは月には、皆様もおありだったでしょう。
私はその社外研修会の時に、「『社会人は毎日が試験』という考え方を身につけておいてほしい」ということをお聞きしていたのが、1年半経った今も凄く印象に残っていますね。
しかし、この「試験」は、もちろんこちらの引用にある通り、いわば「何でも持ち込み可」、あるいはそれどころか「分からないことは先輩や上司に聞いてもいい」というルールのものだというわけです。
大学なら、教科書、あるいは自筆のメモ程度なら見てもいいということはあっても、流石にネットで検索しても、あるいは他人に聞いてもいいという試験はないですよね。
(その分、学年が上がるとテストよりもレポートやプレゼン、学位論文の割合が多くなり、カンニングに代わって「剽窃」に対する目が厳しくなってくるわけですが)
ただ一方で、ここでも少し触れられている通り、社会人は学生の定期試験や進学受験と違って、昇進試験や資格試験など、「自分で必要なものを受験する」ということもあるわけです。
それで、私が思い出したのは、つい1ヶ月ほど前にITパスポートを受験したときのことでしたね。
時間はたった2時間、難易度も決して高くないとはいえ、「記憶力を頼りに、すべて自分の力で解く」ということをやったのが久々だったので、なかなか感覚的にきつかった覚えがあります(もちろん、対策として過去問を同じ時間で解いてみて慣れるということはやっていましたけどね)。
さて、この「毎日が試験」というのは、もちろんプロ棋士も一緒です。
必ずしも公式の対局が毎日あるわけではなくとも、「日々、戦術やメンタル面を磨く」というのも、立派な試験ということです。
ただし、当然ながらプロ棋士の場合は「自分の記憶だけで解決」すべき場面にあたる頻度は、一般的社会人と比べても圧倒的に高いということになります。
具体的に引用を示せなくて申し訳ないのですが、将棋や囲碁で、(対局だけでなく解説についても)ソフトの導入に反対されている方がよく仰っていることは、「棋士という職業の神秘性が感じられなくなる」ということなんですよ。
これについて私が感じたことは、「人間味」というのは、悪い面もあるのかもしれないけど、それだけ魅力的に感じられる要素なのかなあということです。
疲れて思考回路が狂ってしまい、普通では考えられないような凡ミスをするとかいうのも、その「人間味」の一例です。
で、これはそれとはまた違う盤外の話であり、また今回の疑惑に関する私の考えについてはもう前回述べた通りです。
ただ、こういうところで「『見てはいけない』といわれると見たくなる(けど、『何を見てもいい』といわれると見るのを面倒くさがる)のが人間の性」ということで、こういう疑惑が持ち上がってくるというのも、ソフトが絡むことで発生した、また一つの「人間味」という解釈もできると考えています。
何はともあれ、エンターテインメント的な話とはいえ、本件の真相と今後の対策に関する話題は、私としてはとても目が離せない所です。
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