「自分をほめる」ということ

子どものころから鍛えられた「残念な視点」

ダメな部分に目が行ってしまう特性を持っている私たちですが、その特性が「訓練」され、「強化」されるのは、小学校に入学したころからです。
お子さんがいない方も、仮に自分がお父さん、お母さんになったと想像してみてください。
小学1年生のお子さんが、90点の漢字テストを持って帰ってきました。そのときに、皆さんはどんな言葉をかけますか?

「がんばったね。もうちょっとで100点だったね」

ほとんどの方がこのように声をかけるはずです。この声掛けの、どこがよくないかおわかりでしょうか?少し考えてみてください。

このような声かけの問題点は、「もうちょっとで」という言葉に表れているように、注目しているのが「取れなかった10点の部分」だからです。良かった90%に目を向けているのではなく、ダメだったほんの10%に注目しているのです。
テストが30点だった場合はなおさらです。「もっとがんばらないと!先生の話、聞いているの?」となってしまう。子供のことが心配なぶん、「すごいね。30点も取れたね」という発想にはなりにくいのです。

幼稚園や保育園では、基本的に何をやっても「マル」だったはずです。「正しい泥だんごのつくりかた」など習いませんし、「あなたの泥だんごは60点」と言われることもありません。歌が歌えるようになった、太鼓ができるようになった、登り棒に登れるようになった……。すべて「マル」ですから、「学び」は楽しかったはずなのです。

しかし、小学校になると様子が違ってきます。テストの解答用紙にたくさん「マル」がついていたので、ワクワクして家に帰ってくると、「こんなところ間違えて!」と言われたり、「お兄ちゃんはいつも100点だった」と兄弟や友達と比較されたりし始める……。
本来は楽しかったはずの学びが、学校の中で点数の序列の中でマイナス面を指摘されるようになると、受け身になってしまうのです。
こんなことが続くと、私たちは無意識のうちに、傷つかないように自分を守ろうとします。「それは習ってない」と言い出したり、ちょっと計算を間違えたくらいで「私は算数が不得意だから」というようになったりするのです。
これらは、自分が傷つかないようにするための言葉なのですが、切ないですよね。

(永谷研一『1日5分「よい習慣」を無理なく身につける できたことノート』より)

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