「抽象化思考能力」のお話

私は理解力とは「抽象化能力」のことだと考えます。噛み砕けば、「知らないものを見て、自分がすでに知っている知識のパターンを照らし合わせて、同じパターンを見いだせる能力」です。
 たとえば、日本ではあまり見ないグアバやパッションフルーツが目の前にあったとします。あなたの知識のなかに、これらの果物のビジュアルがなければ、「グアバがある」と認識できないでしょう。しかし、自分の知識の中の果物と照らし合わせて「これは何かの果物だな」と認識することはできます。これが「抽象化能力」です。
 たとえば、「キリスト教徒イスラム教、どちらが優れているか」という論争があったときに、「どちらも宗教じゃないか。それぞれの教義に立ち返れば、争う必要なんかないはずだ」と考えられる力。これも抽象化能力です。つまり、抽象化能力とは、一般的な視点(抽象度)より高い視点(抽象度)でものごとを見ることで、知らなかったことと持っている知識の共通項を見出して、その共通項でくくることが出来る能力のことです。


皆様こんにちは。ピースです。
すみません、繁忙期を切り抜け、試験が無事に受験できたかと思いきや、
その後、仕事でも私事でも色々ゴタゴタがありまして、更新間隔が空いてしまいました。

色々とこのブログで話題にしたいことが積んでいるのですが、今年の連休は特に遠出する予定も、休日出社してまで片付けるべき緊急の仕事もないので、焦らず少しずつ片付けていきたいと思います。

さて、今日の本題ですが、冒頭は苫米地英人先生の本からの引用です。
私が苫米地先生の名前を初めて見たのは、彼が民主党政権時にTPPを話題にされた時からなのですが、
実は、脳科学とか計算機科学を専門になさっているというのは、この本の著者紹介ではじめて知りました^^;
何となく、このブログを読まれている皆様の中では、(「賛」の方が多いことには多いかもしれないけど)賛否両論な方というイメージはありますね。

さて、この引用箇所を読んで、皆様はどういう印象を受けるでしょうか?
私は、これまではどちらかというと「抽象を具体にし、具体を抽象にする」というと、小説や詩歌を書く時の考え方ような印象が強く、典型的な「技術職」そして「ビジネスパーソン」としては「抽象は具体にし、具体はさらなる具体にする」という考え方でやってきたものだと思い込んでいました。
でも、よくよく考え直すと、そうではなかったなあということですね。

ここでは、「キリスト教とイスラム教」の話を通して、「抽象化能力とは、共通項を見出してその共通項でくくることが出来る能力のこと」という言い方がされていますね。
「共通項でくくる」という言い方をすると、思いっきり理系脳な私は、中学レベルの数学でも習う「因数分解」というのを思い浮かべるわけですが…w
まあ、それはともかくとして、この「共通項でくくる」というのは、以前まさに「既存の知識の組み合わせ」という話もしましたが、それからもう一歩ステップが進み、それを「これまで知らなかったこと」に対して応用する能力が問われる、というところでしょうか。

私もちょうど最近、読書ログで人工知能について書かれた別の本のレビューもしました。
苫米地先生の解釈では、「人間の頭の良さの判断基準は普遍的なもの」と言われていますが、実は人工知能の急激な発達に伴って、それに対する世間一般的な解釈基準は結構変わっているのかもしれませんね。

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