【参加報告】黒田裕樹の歴史講座 第58回「日本と韓国のほんとうの歴史」(1)

皆様こんばんは。ピースです。
のどの痛みがまだ完治していません。
誰にとっても、第一の資本は己の身体です。
風邪には気を付けて、予防をしっかりしておきましょうね。

本題ですが、昨日(2/5)は、黒田裕樹先生の歴史講座に参加しました。
これで、日曜日は3連続で歴史系の講座へ参加する、ということになりましたね。
(私自身の経験を振り返っても、3週連続は間違いなく初めてです。)


そのテーマが、「日本と韓国のほんとうの歴史」ということなのですが、
実は、曰くつきなのはこの題名だけではありません。

何と、黒田先生は、この講座と同じ内容のものを昨年8月に、

広島の人権会館で

行ったそうです。
しかも、これはその人権会館の職員(その方は「元極左だけど、今は(自称?)極右になった」という方らしいです)のご依頼があったらしいです。
ちなみに、私はその時の写真をFBで見たのですが、彼はカープのユニフォームを着て講演されていましたw

さて、今回のこちらでの取り上げ方は、いつもとちょっと違います。
いつもならば、ここでレジュメから章立てを引用するのですが、黒田先生の講座は、そのレジュメと同時に配布されている次回予告があるんですよ。
で、今日はまず、その次回予告に書かれていた文章(つまり、今回の予告なので、前回の講座の時に配布されていたものです)から引用してみましょう。

人間関係もそうですが、それまでの「歴史の真実」をお互いに理解しない限り、本当の意味での「国家間の友好関係」は有り得ません。
東アジアの、ひいては世界の安定のためにも、私たちが「日韓のほんとうの歴史」を知ることによって、両国の関係をよくしていきませんか。

これを引用して、私が申し上げたいことは何かというと、

この講座は、断じてヘイトスピーチ(ここでの話でいうなら、例えば「韓国人は下劣な民族だ」とか、そういう類の主張ですね)を行う主旨のものではない

ということですね。
これはもう、この2文に書かれている通りなので、それ以上深くは掘り下げませんが、まあそういうことです。

では、次にいつもの章立てを。

  1. 「日本と韓国のほんとうの歴史」を学ぶにあたって
  2. 日朝関係を悪化させた「不幸な行き違い」
  3. 朝鮮半島に迫る清国の影とロシアの魔の手
  4. 併合を決定づけた「運命の銃弾」
  5. 一般的な植民地支配の厳しい現実
  6. 朝鮮半島の統治における数々の真実
  7. 慰安婦問題の「日韓合意」について
  8. 外国が絶賛した我が国の朝鮮統治

広島で講演をされたときには、6までの内容でしたが、日韓合意から1年少し経ち、韓国の反応があまりにタイムリーな感じだったので、7が加わったらしいです。
8は全体のまとめ、という感じでしょうか。

それで、私が今回の講座の内容で考えさせられたのは、5~7ですが、
長くなりそうなので2分割し、今回は5,6の内容について。

この部分を重点的に取り上げたいと思った理由は、以下の通りです。
私は2週間前に、烏山頭ダムと八田與一の講座を聞きに行った時の報告を2分割記事で書きました。
それで、以前「八田が活躍したときの台湾よりも、金銭的にも、人員的にも日本がはるかに大規模な資源を割いていたのが、韓国併合以降の朝鮮半島だった」という話を、どこかで聞いたことがあったんですね。

で、実態はどうだったかということですが、以下はレジュメの、5.一般的な植民地支配の厳しい現実の最後から引用。

西欧諸国やアメリカによって行われた、プランテーションや奴隷制度に代表される一方的な植民地支配に対して、我が国は日韓併合後に朝鮮半島をどのように統治したのでしょうか。

こういう場合、一番わかりやすいのは国内における総人口の違いを調査することです。なぜなら、もし我が国が朝鮮半島を植民地化して朝鮮の人々を強制的に労働させているのであれば、結果として人口が減少するのが当然だからです。

日韓併合後に我が国が朝鮮半島を統治するために置いた朝鮮総督府が記録として残した「朝鮮総督府統計年報」によると、併合した明治43(1910)年の朝鮮の人口は1312万8780人でした。一方、大戦末期の昭和19(1944)年では2512万174人です。

わずか35年足らずで、朝鮮半島の人口が倍増しているのです。植民地化で朝鮮人が被害を受けているのであれば減っていてもおかしくないのに、逆に2倍になっているのはどういうことなのでしょうか。

どういうことなのかというと、以下は簡潔に書かせていただきますが、次章の6で解説されている、20億円の支援、6600万円をかけての鉄道建設、学校を増やし、朝鮮人弁護士制度をつくったことなどです。
そして、ハングル文字の普及と同時に広めようとした日本語は朝鮮人口の16%程度しか習得していなかったこと、
さらに「創氏改名」は「朝鮮人から名前を奪った」ものではなく、元来は朝鮮人が日本名を名乗れなかったけど、それが差別であるということで、昭和14(1939)年に導入された、ということも説明されています。

以下、私の補足。
烏山頭ダムと八田與一のことを挙げたので、その絡みということでですが、インフラといえば、やっぱり鉄道だけでなくダム建設もあったんですよ。
それが、現在の北朝鮮、当時でいう朝鮮と満州国の国境にある「水豊ダム」です。
建設に携わった方は、久保田豊という日本工営の初代社長となった(名前は以前から知っていましたが、大変お恥ずかしながらここは初耳でした)技術者です。
まあ、「その久保田豊の名前は、韓国の教科書にはない」と言われるのも、やっぱりどこかで聞いた覚えがありますが…
さて、そんないろんな日韓関係の近現代史という背景があって、「従軍慰安婦」関連の歴史認識と日韓合意に関する話、一体どう解釈したものかということですが、それに関しては次のエントリに回します。

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