千代田区の街路樹問題について

1998年の長野オリンピックの時の話です。

何しろオリンピックですから、観戦客やら報道陣やらたくさんの人たちが、どっと長野に押し寄せました。
長野での主な移動手段はタクシーです。
地元のタクシー会社は、あっという間に予約で満杯に。
どのタクシー会社のタクシーも「貸し切り状態」になったのです。

そんな状況の中、たった1社だけ「貸し切りお断り」をつらぬいたタクシー会社がありました。
長野市に本社を持つ「中央タクシー株式会社」です。
当初は、同社も貸し切り予約を受けていたそうです。
しかし、ひとりの社員がこんなことを言ったのです。

「オリンピックの大会中、いつもうちのタクシーで病院に通っている、あのおばあちゃんはどうするんだろう?」

その言葉がきっかけになり、社員たちの間で「いつも自分たちのタクシーを使ってくれている地元住民の足を守らないでよいのか?」という議論が起こります。
それを受けて、経営者は、「オリンピック期間中も、貸し切りを断って通常営業を続ける」という決定をしたのです。
もちろん、こんな英断を下したのは中央タクシーだけ。
他社は期間中、いつもの3倍を売り上げました。
期間中は、まさに中央タクシーだけが「一人負け」。

でも、オリンピックはあっという間に終わります。
オリンピック特需に沸いたタクシー会社は、その閉幕とともにお客を失いました。
一方、地元の人たちの足を守り抜いた中央タクシーだけは、オリンピックが終わってもビクともしませんでした。
いや、それどころか、オリンピックの前までは他社のタクシーを使っていた地元民たちまでも、中央タクシーに乗ってくれるようになったのです。

皆様こんにちは。
都内の停電、かなり凄かったようですね。
実名登録のFBにも書いていますが、幸い 、私の勤務先は大きな影響はありませんでした。
日本の首都にしてオリンピックを4年後に控える都市としての課題は、このような状況下での混乱をいかにして早く収束させるか、ということにありますね。

ですが、この停電の話はまたブログに書く時間があれば、ということにしまして、今日はその東京オリンピックに伴う整備・開発の話題。

タイトルと冒頭の引用だけで、もうここで言いたいことは大体予想がついたという方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、何のことか分からない方もいらっしゃると思うので、リンクを貼っておきましょう。

東京五輪の影響で100年の街路樹が伐採…!300本の樹木を守る声が広まる(grape-『心』に響く動画メディア)

今日はこの問題について、私の考える冒頭の引用との共通点と相違点を挙げてみたいと思います。

まず共通点からですが、これはいずれも「短期的利益に惑わされないことの大切さ」を訴えた問題提起であるということですね。
今回は両方ともオリンピックの話題ですが、必ずしもそれに限った問題ではなく、「一時的な流行(トレンド)」を追い求めすぎることへの警鐘を鳴らすことが大事です。

確かに、イベントによる経済効果を追い求めることが必ずしも悪いということではありません。
ですが、このオリンピックという一大イベントをそれだけ活性化させることができるのも、東京、そして日本に根付いた風土(もちろん、自然のみならず「人間(の温かさ)」とか言う要素も含まれると思います)という基礎があってこそのことです。
これを忘れることは、あってはならないと考えます。

では、相違点は何か?といいますと、「長期的視点」を考えるときの時間スケールの違いです。
拙ブログでは、過去複数のエントリで、今年は皇紀2676年という話をしたり、土木技師の青山士について取り上げたエントリでは「伝統宗教」と「新興宗教」、そして「カルト邪教」の違いについて言及したりしました。
このように、私は「永く続くものの価値」を比較的重要視する人間だと思います。

それで、実際のところはどうなのか分かりませんが、タクシー会社の集客力というのは、数ヶ月、長くても数年程度の企業努力で変化する可能性がいくらでもあると想像できます。
その一方で、この街路樹の問題は、まさに「100年単位」の問題です。
人は100年経てば9割以上は入れ替わってしまいますが、この街路樹は「人よりも永く続くもの」にして、「一度失われると、取り戻すことはそれだけの時間に依らなければ不可能な」ものだというわけです。
これだけで、重みが全く違いますよね。
(もちろん、会社の集客力の話でも、数ヶ月-数年の努力云々では済まない「老舗の企業が危急存亡の事態に陥る」というレベルの話になると、この街路樹問題に似た性質を持つことはありえます。)
経済効果のように、数字に見えるものだけで判断するというのは、非常に単純かつ合理的なやり方です。
ただ、このやり方には、郷土とか自分たちの地域・国に対する愛着(カタカナ語で言うと「パトリオティズム(patriotism)ですね」)とか、あるいはその数字が影響する期間をはるかに超えた長期的視点(これは、まさに地球環境問題がその一例です)が完全に無視されてしまうという問題があるわけです。
それらの「数字に出てこない要素」をどうやって考慮するかも、皆様と情報を共有しながら考えていく必要がありますね。

台湾の呼称問題を取り上げた前エントリに引き続き、Change.orgのネット署名もリンクを直接貼っておきます。

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