皆様お疲れ様です。ピースです。
すみません。
半年以上更新が空いてしまいました。
体調はだいぶ回復してきたものの、まだ若干精神的には不安定な感じなのと、今年は資格試験の受験等も多く、なかなかブログの更新に手がついていませんでした。
そして、こちらもお久しぶりですね。
黒田裕樹先生の東京歴史塾の参加報告です。
前回いつやったっけなあと思って、カテゴリを参照していたら、なんと明治時代でした。
この東京歴史塾は、明治から近代史を一通りたどるという感じでやってきていた模様で、実はこの途中にもう2,3回くらいは参加していたのですが、当ブログではエントリを立てることが出来ずじまいとなっておりました。
今回は昭和時代・戦後の4回目(全5回ということで、次回11/13(もう明日w)が最終回です)ということですが、以前やっていた通り、レジュメの見出しから。
13.日本の独立回復
14.特需景気と経済復興
15.独立回復後の国内情勢
16.激動する世界情勢
17.55年体制の成立と国連への加盟
18.安保条約の改定と闘争の激化
19.高度経済成長
今回は、まず「13.日本の独立回復」から。
昭和26(1951)年1月に来日した大統領特別顧問のダレスは、我が国に対して「対日講和七原則」を示して、単独(多数)講和や在日米軍の駐留などの構想を明らかにするとともに、我が国の再軍備を強く迫りました。
しかし、当時の吉田茂首相は、日本国憲法第9条によってわが国が戦争放棄をうたっていることを理由として再軍備の要求を拒絶し、アメリカもこれに同意しました。
かくしてわが国は、経済の復興を最大の目標に掲げるとともに、国家の防衛をアメリカの軍事力に依存するという、戦後日本の基本的な枠組みを構築したのです。
吉田首相による再軍備の拒絶は、わが国が軍事的・外交的にアメリカに従属する道を選び、結果として我が国が真の独立国として再出発することや、第9条を含んだ日本国憲法の改正の好機を逃したという批判もあります。
しかしその一方で、当時のわが国は復興への道をようやく歩み始めたばかりであり、経済に過酷な負担を強いることになる再軍備が、現実的に可能だったかどうかという見方もあります。
また、朝鮮戦争で数百万人もの尊い生命が失われていることから、終戦間もない我が国が戦争に参加することで、多数の犠牲者を出すことを当時の国内世論が受け入れたかどうかということも、判断材料の一つとしてとらえるべきではないでしょうか。
私自身も、「日本を真の独立国家に!」というのは非常に強く主張したいことですし、そのためには日米関係を「一方的な依存」から「相互依存」に、ということも、もちろん必要だと考えています。
ただ、それだけを見て「この判断をした吉田茂は無能」と言うのは短絡的ですよね。
その根拠となるのが、とくに保守寄りの方で近現代史を勉強されている方がよく言われる、「現在の環境や価値観で、当時のことを語ってはならない」ということです。
もう一つ考えたこととして、
アメリカ合衆国という国の総意がどうだったのかというのはさておき、「GHQというアメリカの組織」が日本を脅威に感じ、弱体化を図った。
でも、そのことがアメリカ自身に跳ね返っているという状況は、冷戦の時代から現代を見ても、何となく感じるところがあると思います。
この時に、もうその兆候は現れていたのかなあ、というところですかね。
そして、経済史、産業史面からみると、ここから朝鮮戦争での好景気~高度経済成長へ、という感じに移っていくわけですが、その辺りは次回に…
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