いまの生き方のノリを積極的に変えたいと思うなら、古いものを知るか、自分が慣れ親しんだ文化以外の人たちのことを学ぶのがいいと思います。
その意味で、外国のことについて書いてある本を読むのはいいと思います。
もうひとつは、自分が生きている時代とは違う時代のものを読むことです。
古典は、そういう意味で、素晴らしい教材です。なぜなら、時代を超えて、格好いい生き方があるからです。男性として、女性として、こういう爽やかな、格好いい生き方があるのか!と思うと、本を読んでいても、ワクワクします。
(本田健『読書で自分を高める』より)
皆様こんにちは。
割と久しぶりかもしれない引用からの出だしですが、今回はここでいきなり質問。
このブログをお読みの皆様の中で、(本を読む以外の方法でもいいので)意識して外国の文化を学んだり、古典の勉強をされていたりする方はいらっしゃるでしょうか?
「古いものを知るか、自分が慣れ親しんだ文化以外の人たちのことを学ぶ」というのは、まさにタイトルの通り、「『時間』と『空間』を旅する」という言い方ができると思います。
私がこの引用の箇所を読んで思い出したのは、大学の時の指導教員だった先生(現在は退職しています)でした。
その先生も、もちろん土木系の専攻ですから、過去には国内・海外を問わず、いろんなフィールドを対象として現地調査にも向かっていたようです。
でも、退職する間際までやりたかったけどできていなかったことが、まさに「時間を旅する」 ということだったらしいんですよ。
それで、その先生の最後の研究テーマをざっくり述べますと、ある「数百年前の国土開発」を対象として、「それに今の考え方を当てはめると、どういうことがわかるか」ということを研究されていたそうです。
さて、「空間」 を旅するということについて言えば、(お金にさえ余裕があれば)いくらでも生の体験をする機会はありますね。
しかし一方で、「時間」 を旅するということになると、生の体験をすることは、非常に難しいわけです。
今はVRという手法も出てきてはいますが、基本的には過去の文献を参照する(そして、足りないところは想像力を働かせる)しかないわけですし、もちろん、その先生の研究でも、当時の資料から色々と考察していたわけです。
で、私は昨年、英語のことについて記事を一つ作成して、そこでも言及していたことなのですが、
確かにこういうのは「道具としての言語」を学ぶだけでも、ある程度効果はあるかもしれません。
もちろん、「空間」に対応するのが英語をはじめとする外国語なら、「時間」に対応するのは古語です。
ただ、外国語に関しては、生きた言語であることには違いないということで、受験だけにとどまらず、その後に色々な本を読んだり、文字通り現地を旅したりするときにも道具として利用する機会が多いですが、
その一方で、同様にして「古典」を受験後に読むというのは、文学系の専門の方と、詩や短歌・俳句を趣味にしたいという方以外はあんまりいないと思います。
私はリンク先の記事内で、「『文法偏重なのがダメだ』というのは必ずしも正しくない」という言い方をしています。
ですが、本エントリの主旨からいうと、「そこだけにとどまるというのは非常にもったいない」ということも、また言えるのではないでしょうか。
つまり、受験では英語だけでなく古文・漢文についても、文法やきちんとした解釈が重視されることが多いですが、そういうことは知識としてきちんと理解したうえで、それを文章や話の雰囲気を味わうことに生かす能力も大事だと思うんです。
その辺は私も今までの意識が十分でなかったところでもありますし、こう考えると学ぶネタは尽きないものですね。
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