皆様こんにちは。大分冷えてきましたね。
今日は以前から記事にしようと思っていたけど、なかなか文章にできなかった話題を。
まあ、タイトルの通りなのですが、
少し前にネット上でこんな本が話題になっているのを見つけてのことです。
私はこの本については、買っただけでまだ読んでいないので、
読んだらまたフレーズ引用とか、内容紹介とかやるかもしれません。
で、本題はいつもの経験談です。
私は大学では卒論、修論も英語発表が必須でした(論文と概要は日本語で可)し、もちろん博士課程に関しても英語に関する評価項目があったので、このブログをお読みの皆様と比べると、英語にかかわった機会は長いんだろうと思います。
その割には、プレゼンとか大して上手くできないのですが…w
でも、学部2年くらいのころは、本当に戸惑いましたね。
なんといっても、それまで「理系の話題に英語で触れる」という機会が高校までは本当になかったのに、
専門で外国人の客員教授の先生の講義だと、日本語でも結構理解しづらい内容を英語で講義されるんですから、ね。
それで、今考えてみると、逆に驚きだなあ、ということもあるんです。
私自身の学位論文とか、外部に投稿した査読付き論文とかを見直してみると、
英語の文献の引用って、まだ研究室に入る前に想像していたのに比べると、間違いなく少ないんですよね。
逆に言うと、(土木系という分野の柄もあるかもしれませんが)日本語の参考文献だけでも、けっこう主要なところは成り立っているんだあ、と思わされたわけです。
日本人は英語が下手な人種だというのは前々から言われていて、その理由も諸々の説がありますが、
それにもかかわらず国際的に評価の高い方が数多くいらっしゃる(今年もノーベル賞が出ましたしね)というのは、月並みな言葉ながらすごいですよね。
で、私も基本的には、おそらくこのブログをお読みの大半の方と同じように、
小学校からの英語教育と、企業内で英語公用語化とかいう方向性には反対寄りではあるのですが、
その一方で、素人考えながらも、日本の英語教育が今のままで十分だとも思っていないんです。
上で書いた「戸惑い」というのもあったように、受験英語からいきなり大学で内容的に難しい話題に英語で触れる、というのが抵抗になっている方が多いだろうと思います(特に私と同等以上の学歴の方であれば)。
あと、日本の英語教育というと、もう一つ、
「文法偏重なのがダメだ」という意見も多いですが、
これも私個人の意見としては、正しくないと思っています。
母国語(日本人ならもちろん日本語)と外国語の、言語としての感覚の違いが一番しっかりと現れる箇所は、なんだかんだ言って文法なんですよ。
まあ、発音もあるかもしれませんが、それ以上に品詞とか文の構造とかにこそ、その言語を使う民族のものの考え方とかが現れるでしょうから。
ただ、そういう受験英語的な段階から、レベルは易しいものからでもいいので「実践的な国際コミュニケーションに使えるツールとしての外国語」にどう渡すか、というところが、難しいけど大事な問題なんだろうと思うわけです。
まあ、こういう話で締めるのもどうかと思いますが、
私もこのブログに書いたことを全部英訳しろって言われたら、たぶんまともな英語になりませんねww
英語に限らず、外国語で自分の考えを表現するって、それだけ難しい…