「反新自由主義」という主張を考える

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「正直者がバカを見る」などという迷信は、
いますぐ捨て去ってください。
そのためには、
他人と競争しようとする意識を捨て去ることです。

競争は、ずるさを生み出します。
ずるい考えは、人生に混乱を持ち込みます。
それは、私たちの人生を支配している「正義の法則」に、
真っ向から刃向かうものです。

(ジェームズ・アレン著『きっと!すべてがうまくいく』より)
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皆様こんにちは。
予告通り、前記事と同じ本からの引用に始まりましたが、
今日はこんな質問から入りたいと思います。



いわゆる「愛国保守派」の間で高まっている空気も、以前と今とでは大分変わっていますね。
その中で、
皆さんが思う、「どういう政策を支持するか」という面で一番変わっていることは、何でしょうか?

これに対する回答も当然色々あると思いますが、私の回答はこちら。

「以前は『反共産主義』が一番表立っていたけど、今は『反共産主義+反新自由主義』に移っている」

新自由主義、英語だとネオリベラリズム、略してネオリベとも言われますし、
その中でも細かい違いによってネオコン(新保守)とか、リバタリアンとか、色々あります。

「反共産主義」だけが表立っていた頃は、まさに
「共産主義なんか怠け者が得をする社会を創るだけだろうが!自由競争万歳!競争があるからこそ真っ当に頑張る人が報われる社会になるぞ!」
という雰囲気も、結構あったように思います。
(ちなみに、私がいまの日本の問題を知ったのは麻生バッシングのおかしさを通じてのことだったので、小泉さんが首相だったときにはそんなに政治には興味ありませんでした。ただ、何となく靖国参拝が批判されるのはおかしいだろとは思っていました。郵政民営化については賛成とも反対ともいえない、という感じでしたね。
それと、橋下さんに関しても、数年前までは今に比べると愛国派の方からの評判は良かったような覚えがありますね。)

でも、今更言うまでもなく、これは一文目はともかく、二文目以降は「必ずしも」正しくない。
ですから、小泉改革のころ「改革には痛みを伴う」とか言われて、今、その痛み(それも、前記事で言った一時のものなどではなく、まさにその時からずっと続いている痛み)を背負っている方々がいるわけですよ。

それでは、なぜ正しくないのか。
今日一番お話したいことは、経済学的な理屈ではありません。
インフレ時はどうだけどデフレ時はどうだとか言う話は、もう大概聞き飽きたでしょうからw

ここで、冒頭の引用に触れるのですが、

行き過ぎた新自由主義的政策で行き着く社会では、得をするのは「真っ当に頑張る人」ではなく、「ずるい考えを持った人」ということじゃないんでしょうかね。
そして今まさに、日本には、この「ずるい人が得をする」社会、が出来上がってしまいつつあるんだろうなあ、ということを感じさせられたわけです。
はっきり言って、「ブラック企業」とか、その具現化として最たるものですよ。

ただし、ここで「必ずしも」という点を強調したとおり、それは場合によっては正しいこともあります。
どういう場合か?といわれれば、そこはまさに、経済学的な理屈付け。

インフレ緩和のための政策としてなら、「自由競争を導入して需要についてきていない供給力を上げる」という、
彼らの意図する「正しい」効果が現れるわけです。
(ここで言っているのはあくまでも一般論であり、個別政策に関して言うと、郵政民営化も、TPPも、大阪都構想も、それぞれまた別の問題はあると思いますが)

さて、ネタをある程度考えていた記事は今回までなので、多分また更新間隔が空きますが、
最後にもう一つ、今まさに、「反共産主義+反新自由主義」というスタンスに立っている皆様に質問しましょうか。

「それでは、そういった政治・経済学的な理屈付けも考えた上で、本当に『正直者がバカを見る』ことのない、つまり怠け者でもずるい人でもなく、真っ当に頑張る人が報われる社会になるには、どうしたらいいと考えますか?」

はっきり言って、これは究極の難問だと思います。
もし、これに納得のいく回答が出来る方がいらっしゃったら、私は尊敬しますね。
実際、私もこのスタンスに立っている人間の一人ですが、まったく説得力のある回答が出来る気がしませんw
色々勉強し、また仕事でも活動でも経験を積んだら、出来るようになるのかな…

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