脳というのは、基本的に省エネ志向であり、頭を使わなくてすむならば、なるべく使わない方に流れます。それはある意味で本能的なものであり、簡単にあがなえるものではありません。
結果的に、新しいテクノロジーに何も考えずに身を浸していると、どんどん頭を働かせなくなってきます。このことは、私が最近使っているFacebookで痛感しました。
Facebookで何かを書き込むと、他の人からコメントをもらえる場合があります。そのコメントに対して、私もコメントを返すことが出来るのですが、どうにもうまく言葉にまとまらないとき、つい「いいね!」ボタンをクリックして済ませてしまいます。それだけで、自分はそのコメントを読みました、そして好感を持ちましたということを伝えられるので非常に便利です。しかし、私の頭に浮かんだ「もやもや」は言葉にされることなく、消え去ってしまいます。苦労させずに済んだ代わりに、何か微妙なものが全て失われてしまったわけです。
便利さの対価として私たちが支払っているものには、充分に注意する必要があるでしょう。
(倉下忠憲『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』より)
皆様おはようございます。ピースです。
東京も昨日は蒸し暑さを感じる中の本降りという天候で、本格的に梅雨の訪れを感じますね。
くれぐれも、体調に気を付けていきましょう!
さて、今日は久々に、政治色も専門色も薄めな話題です。