最近の国内政治情勢について思うこと(3)「合成の誤謬」による、ある事象発生への危惧

ためらわずに「ノー」と言うためには、それよりも強い「イエス」、もっと大事なことが、あなたの内面で燃えていなくてはならない。
多くの場合「最良」の敵は「良い」である。
(スティーブン・R・コヴィー『完訳 7つの習慣』
および
フランクリン・コヴィー・ジャパン『7つの習慣に学ぶ手帳術』
より)

皆様お疲れ様です。ピースです。

私は今度の三連休は、

  • 7/19:前回もお話しした「黒田裕樹の歴史講座」Zoom参加
  • 7/20:参院選投票
  • 7/21:技術士第二次試験(論述試験)

という予定です。

色々と、自分自身にとっても、また周囲の環境をみても転換点になりそうなところですが、確実に乗り切りたいと存じます!

で、この3連休中日となった参院選ですが、多分今回が選挙前における本ブログの最後の更新になるかもしれない(この「最近の国内政治情勢について思うこと」シリーズは、後述の通りまだ完結ではないのですが)ので、これに関して以前

18歳選挙権(1)ー「30歳成人説」との対比から


にて書いた文章を、一部修正のうえ再掲いたします。

  1. 投票には必ず行き、そして自分の考えで投票先を決めてください。
    消費税増税延期が主な争点だったかつての衆院選(私自身も記憶が薄れていたのですが、上記のエントリの投稿日時を見ると、おそらく2014年の総選挙です)のとき、テレビや新聞のほとんどは、
    選挙前には「大義のない解散だ」とか言っていたのに、選挙結果が出ると「投票率が低いから民意をきちんと反映していない選挙結果だ」とか言っていたのを、私は当時良く覚えていたんだと思います。そして、本ブログを以前からお読みの方ならば今も覚えていらっしゃる方も多いと思います。
    これだけを取り上げれば、「ダブルスタンダードも大概にしろよ!」って言うお気持ちになられる方も多いのではないでしょうか。でも、間違いなく、組織票の影響が強くなれば都合がいいと考えている人間に、大マスコミの中の人も含まれているからこそ、彼らは「政治なんて誰がやっても同じ」という空気を作り出して、投票率を下げようと目論んでいるわけです。
  2. 参議院の比例代表は、個人名で投票してください。
    皆様ご承知の通り、参議院の比例代表は「非拘束名簿式」です。
    衆院選のように党名しか書けない拘束名簿式と異なり、そこに出馬している個人を応援したくても個人名が書けないという問題はありません。
    じゃあ、この方法の問題は何か?といいますと、
    ほとんどの方は概ね感づいているとは思うのですが、政策立案に必要な能力とか関係なく、知名度だけで当選する人間が数多く現れる、ということです。
    まあ、個人的には、芸能人とかスポーツ選手とか、そういう人間を一番利用しないのがあの共産党という時点で、「この国はいったいどうなってんだ」という気持ちにさせられますが、そんなことをここで愚痴っていてもしょうがないですから…

私は今まで、本ブログでは「誰(あるいはどの党に)に投票して(しないで)ください」ということは一切言わないという方針で来ましたし、今回も申し上げません…
と言いたいところですが、今回はどうしても話の流れとして不可避な所もあるので、一部そういう内容も含みます。
ただ、これもあくまで私自身の意見であり、絶対的に正しいことでも何でもないということはご留意ください。

いずれにしましても、以上のような今の日本の自堕落な状況を少しでも打開するためにも、自分の考えで一票を投じる方、そしてきちんと政策で判断しようとされる方が増えればと思います。

今回も前置きが長くなりましたが、ここからが本題。本シリーズ、過去2エントリ↓

最近の国内政治情勢について思うこと(1)昨年の衆院選+先日の都議選の結果評から

最近の国内政治情勢について思うこと(2)「現実を多面的に分析したうえでの政策立案能力の喪失問題」という仮説


を私自身が読み返したときに、「ん?なんかこの2つの話につながりが見えないな…」という印象を抱いたんです。
それも、(2)の方が、安倍元総理の命日と合わせて内容を当初の方針と変えたところがあるせいなのですが。
というわけで、ここで(まだ、多少無理筋なところもありますが)少しずつまとめる方向に持っていってみます。

今回の参院選を前にして、今、私が何を危惧しているのかについて申し上げますと、

「この参院選、別に現与党が大敗するんだったら、まあそれはそれで大いに構わない。
…が、その代わりに、いわゆる『野党共闘勢』に足場固めされるとかいうのは勘弁しろよ!」
というお考えの方が多数いらっしゃる印象があるにもかかわらず、実際にはこれが現実になる可能性が無きにしも非ずだ、

ということなんです。

これ、2009年の民主党政権誕生の時とは、明らかに状況が違いますよね。

あの時は、大マスコミにまだまだ信頼を持っている方が多数派だったけど、新聞・テレビが各党の政策について、民意を正しく反映させるためにすべき報道をしなかった。
そのことで、「もうあの政権の再来は懲り懲りだ」そして「オールドメディアの報道姿勢もおかしかったんじゃないの??」となった方が多数いらっしゃった。

一方で今回は、X等のSNSを見る限りまだまだその影響が残っているという雰囲気は感じられる、
にもかかわらず、(都議選は(1)に書いた通りそこまで伸びていない感じでしたが、衆院選は特に)立憲民主党が議席を伸ばしたという事実もあります。
だから、今回の参院選、結構怖い状況だと思うんですよ。

これは、本エントリタイトルのキーワードとした「合成の誤謬」の一つの形ですね。
また、名著『7つの習慣』からの引用を冒頭に持ってきた通り
「『良』を取りすぎた結果、『最良』を捨ててしまう」
ということの反対で、
「『悪』を排除した結果、多くの方が望んでいなかったはずの『最悪』を生んでしまう」
ということもありうるわけです。

まあ、「ただの杞憂ということで済めばいいのですが…」ということですが、
ここでようやく、(1)の最後に述べた「違和感」が何なのかという話、そして(2)の最後に書いた「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」にもつながりそうな感じです。
ただ、長くなったので、これを次回、(4)で書いて締めということにしたいと存じます。

よろしければ、1日1回応援クリックをお願いします。

人気ブログランキング

ブロトピ(ブログサークルSNS)
ブロトピ:「ブログ更新しました♪」
ブロトピ:ブログ更新しました
ブロトピ:今日の学問・教育情報
ブロトピ:今日の雑談日記
ブロトピ:今日の生活・文化情報

7つの習慣に学ぶ手帳術

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA