天皇、皇后両陛下の九州北部豪雨被災地ご訪問に関して

皆様お疲れ様です。
業務関係で、遠出の出張が増えたピースです。
寒くなってきたので、皆様も体調管理にお気を付け下さいね。

WordPressにて再始動したこのブログですが、前のライブドアブログの自己紹介、ブログ内の被リンク数もおそらく一番多かったであろうメインエントリの2つについては、固定ページに移しました(これまでのエントリからのリンクも、プラグインによる一括変換で反映させています)。

また、ブログサークルのコメントプラグインも挿入完了です。
こちらは、特に何の細工もせずにタグを貼り付けるだけでいけました。

それでは、本題ですが、内容はタイトルの通りです。

というか、移転前のブログで書いていた台風21号に関するこちらの記事の最後に、

別の方向から水害に関する(というか、今回の産経新聞の記事中にあった九州北部豪雨について、再びです)お話をしたいと思います。

とも書いていましたね。

またまた、もう10日以上も前の記事ですが(このブログ、移転しても多分「速報性」とは無縁の状態が続くと思いますw)、10/28の産経新聞29面より、写真付きでの引用です(スキャン時に裏の広告面が少し写ってしまうのは、あいにくどうにもなりませんでしたが…)。

両陛下 豪雨被災地お見舞い
九州北部 遺族らに慰めのお言葉

天皇、皇后両陛下は27日、7月の九州北部豪雨で死者・行方不明者計41人を出した福岡、大分両県を訪れ、遺族らを慰労された。天皇陛下の譲位を可能とする特例法の成立後、両陛下が自然災害の被災地を見舞われるのは初めて。即位後に繰り返し被災地に足を運んできた両陛下は、譲位の日が迫った今回も国民と寄り添う姿勢を貫かれた。
両陛下は豪雨災害の直後から被災地を早い時期に見舞いたいと希望し、福岡県で全国豊かな海づくり大会に臨席するのに合わせ、日程を1日前倒しして被災地訪問を実現された。
この日は飛行機と車を乗り継いで同県朝倉市に入り、筑後川の支流が決壊し、土砂で家屋が埋まった被災現場を、高速道路上から車列の速度を落としてご覧になった。

(中略)

両陛下は懇談の場で、高齢者の暮らしぶりや農業被害、教育現場の状況についても案じるなど、きめ細かい気配りを見せられた。
両県で人命救助などに当たった警察、消防、自衛隊の関係者らにも「ご苦労さま」とねぎらわれた。
この日の行程は両陛下の負担を考慮し、宿泊先の北九州市に向かう帰路に新幹線を利用されたが、移動距離は半日で220キロを超える長い旅路となった。


大分県日田市で九州北部の豪雨による被災者を励まされる天皇、皇后両陛下 =27日午後、代表撮影

何といいますか、この引用元の文章も、ブログの移転前に書いていた記事を色々と思い出させてくれます。

まず、九州北部豪雨については、3エントリに分割してまとめていました。(2番目のエントリについては、今回の引用元にもまさに、警察、消防、自衛隊の関係者らにも「ご苦労さま」とねぎらわれた。という一文がありますね)

そして、天皇陛下のご譲位のお話については、昨年の天長節一般参賀の報告記事にて取り上げさせていただきました。

天長節一般参賀(平成28年12月23日、今上陛下83歳)

そんな中で、今回は自分の言葉で書く内容をどうしようかなと思いましたが、「変わるもの」と「変わらないもの」という対比に着目して、お話してみましょうか。

以前も何度か同じようなことを書きましたが、日本って、当然ながら今も昔も自然災害を受けやすい地形的条件にある国です。
そして、近年で最大規模の災害と言える東日本大震災について、その発生から6年となる今年の3月に書いたエントリでは、和辻哲郎の著書『風土-人間学的考察』に関する記述が取り上げられている産経の記事を引用しました。
そして、その中で、国学院大学の石井研士教授の

かつて日本人は自然が暴虐の限りを尽くしてもひたすら耐え、それが過ぎ去ったら気を取り直して同じ場所に住居を再建した。
「天や運命にはかなわないと諦め、今を生きる原動力に換える明るい諦観が日本人にはあった」

という解説がありました。

同エントリでは、自然の力に対する「受容と忍従」という和辻の著書の中のキーワードにも触れましたね。
それを通して、特に日本人にとって、「カタチあるものは変わりゆく」という認識が、(意識する/しないを問わず)植え付けられているということなんです。
(ちなみに、この「日本人にとって、カタチあるものは変わりゆく」という話は、また近いうちに取り上げる予定です。)

それでは、皇紀2677年という歴史を持つこの国、「変わらないもの」は一体何なのか?

両者を対比として捉えるなら、答えは明らかでしょう。
「カタチのないもの」です。
そして、歴代の天皇こそが、この「カタチのないもの」、つまりは日本人の「精神」とか「魂」というものを、後の世代に引き継ぐのに最重要な役割を果たしているんだということです。

そう考えると、今回の産経の引用元にもあり、また上記の昨年の天長節一般参賀の報告エントリにも述べた通り、「譲位の日が迫った」という中で、本当にお体の衰えも感じさせず、自ら被災地に足を運ばれ、またお見舞いのお言葉を述べられる姿には、感じ入るものがありますね。

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